だれにも話していなかったが、イギリス遠征が終わったらチーム運営から手を引
こうと決めていた。イギリス遠征は自分にとって究極の目標に思えた。それまで
は新しい夢がどんどん沸き出てきて、つぎつぎに実現してきた。夢を見ることが
チームを運営するための活力源だったが、イギリス遠征以上の夢は思い描けなか
った。夢が描けなければおしまいである。この企画を最後に壱プレーヤーに戻ろ
うと考えていた。
長年、チームの運営に携ってきたが、自分には『チームリーダー』は向いていな
いと思っていた。今もそう思っている。
職業柄、血液型性格判断を信用するわけにはいかないが、B型はリーダーに向い
ていない。もっと適した人がチームの運営にあたっていれば、もっといいチーム
になっていたし、みんながもっと満足できる形になっていたと思う。
チーム設立当初、みんな忙しい身の上だったのか、言い出した自分に遠慮してく
れたのかいつのまにか自分が仕切っていた。チームの運営は自分には向いていな
かったが、気持ちいいとも思った。30名近い人間が自分の一言で動く事は中々
経験出来ない事でもあった。独断で動かすことも多かったが、日頃会えない仲間
なので、そうせざるを得ない事でもあった。誰よりも長く、誰よりも一生懸命
チームのことを考えたという事実だけを頼りにチームを動かしていた。また、
言い出した責任はあると思っていたので続けてきたが、いつまでもこのままで好い
とは思っていなかった。イギリス遠征は区切りをつけるのにいい機会だと思って
いた。
ところが自分のイギリス遠征が、志し半ばでこけてしまい中途半端な状態になっ
て、どうしたら良いのか迷っていた。イギリス遠征辞退でみんなに迷惑をかけた
気持ちもあり言い出せないでいた。
中途半端な気持ちのまま、ずるずると練習や試合の予定を立て、連絡していたが、
なにかしっくりこなくなっていた。プレーすることよりもたのしい時期もあった
チーム運営が、徐々にたのしくなくなった。自分がたのしんでいないと仲間にも
伝播するのかチームも勢いがなくなったと感じていた。
このままではいけないと思っていたが、時間は止まったままだった。新たな一歩
を踏み出せないでいた。もうイギリス遠征前の自分には戻れなくなってしまった。
そんな気持ちを引きずっていたら、プレーにも気持ちが失せていった。
「ラグビーもこれで終わってもいいかな」
と思い始めていた。自分でも驚く現象だった。
テニスプレーヤーが陥る『燃え尽き症候群』なのかと思い始めていた。もう充分
たのしんだ気がしていた。
しかし心のどこかには、
「ボロボロになるまでやるんじゃなかったのか」
という気もあった。自分がどうしたいのか分からなくなっていた。
平成12年11月5日、岐惑との定期戦を終えて思った。
「やっぱりラグビーは好きなんだ」
自分の気持ちを再確認した。ハリマオを始めた頃の自分を思い出した。
もう少しラグビーを続けていたい。
「出切る事なら50才まではプレーヤーでいたい。」
これからの自分の目標は、これかもしれないと思った。少し気が晴れた。
現在、チームには名西出身以外の人も増えた。中西栄作(中西)や森下洋一
(森下)のように紹介者が今プレーしていなくてもチームの中心になって
やってくれている。
中西のアドバイスは西陵のラグビーを感じさせてくれる。森下のように
ハリマオでラグビーボールと始めて触れた人もいる。その彼が今一番純粋に
ラグビーを愛しているようにも思う。彼がラグビーを語る時、眩しくさえ
見える。そうな彼らのためにも今のままではいけないと思う。
チームの平均年齢も40才前後である。47才が運営していては、47才のチーム
になってしまう。活力を失ったハリマオは見たくない。チームは『生き物』
であり、活力あるチームでいるためにも世代交代が必要である。
平成13年5月27日、岐惑から待望の二勝目もあげた。チームのムードも良く
なっている今こそその時期と考える。
ハリマオは常に『もっとたのしく、もっと自由に!』を求めているチームで
いたいものである。
そして、今、思っている。
「自分が育てたチームが、一人歩きする姿を見たい!」と。
“Three cheers for Harimau. Hip hooray! Hip hooray! Hip hooray!”
ハリマオの設立話 第2部へ アップは未定
【部員大募集!!】Over 30,40 ages のNice Guyを大規模に募集中です。 お気軽に、メールにてご連絡下さい。 ハリマオRFCは、AED完備。出来る大人のラグビーチームです。
2010年11月24日水曜日
第十二話 【イギリス遠征】
今は昔、高校の先生をしている幼友達と飲んでいた。彼がパーソナルコンピュー
ター(PC)を買ったという。当時はまだ出始めのころだったので随分値段は高
かったと思う。
「へ~、すごいじゃん。またどうして?」
『ん~、先生も、20代のころは(おにいさん)でやれた。30代のころは(パワー)
でやれた。40代になるとそうはいかない。なにか(教える技術)がいる』
「それでPCかったの?」
『うん、自分への投資なんだ』
なんかかっこいい話しで心に残った。
平成9年の秋、本屋さんで立ち読みをしていて一冊の本に目が止まった。『ラグビ
ー・クリニック』(創刊号)とあった。ラグビー校の特集だった。その1ぺージに
は朝靄の中にたたずむラグビー校の写真が載っていた。かっこいい写真だった。
すぐに買い求めた。
夜、寝る前に布団の中で読んだ。直ぐに読み終えたが読み返していた。寝る前はラ
グビーのことを考えていると安らかに寝付ける。読むところがなくなっても写真を
ながめていた。
ラグビー校でプレーする日本人の子供の写真もあった。ストッキングのずれ方がな
んともかっこ良かった。毎晩ながめていた。ある夜思った。
「ここへ行こう!」
「ラグビー校へ行こう!!」
友人は(自分への投資)として30万円のPCを買ったが、自分は(20年以上まじめ
に働いた自分へのご褒美)に『ラグビー校探訪の旅』を自分にプレゼントしようと
思った。
会社を一週間くらい休んでも罰はあたらないと思った。雑誌を眺めていると、思い
がどんどん膨らんだ。どうも物事をひとりで完結できない性分らしい。回りの人間
を巻き添えにしたがる傾向にある。
ラグビー校へ行きたい。→イギリスに行くならワールドカップも見たい→ワールド
カップを見るならみんなと見たい。→みんなと行くならイギリスのチームと交流も
したい。
一枚の写真から、またとんでもないことを考え始めていた。『ハリマオのイギリス
遠征』である。「これはムリだよな」との思いと「みんなといっしょにイギリスに行っ
たらたのしいだろうな」との思いが同居していた。でも、迷っていたわけではなかっ
た。直ぐ図書館に行って、実現可能なのかを調べていた。理想形を決めた。
(案)【名西ハリマオイギリス遠征】
時 期:平成11年9月~11月の間(第4回ワールドカップ期間中)
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:30万円
参加人数:20名
(内容)
・オリジナルツアー
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦
・リッチモンドのクラブと交流
・2泊はロンドンのB&B、2泊は郊外のマナーハウス
とてつもなく大きな企画であり、まだなにも決まっていなかったが、これが
実現できるなら、自分の寿命が10年短くなってもいいと思っていた。
平成11年1月2日の新年会でこの企画を発表した。みんなからの賛同を得た。
一年半温めてきた企画がその時動き出した。それからはみんなの協力も仰ぎ、
具体化していった。ワールドカップのチケットが手に入らないといううわさも
あり、右往左往しながら5月初旬には概略が決まった。
【名西ハリマオイギリス遠征】(東急観光)
時 期:平成11年10月7日~12日
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:31万円
参加人数:15名
(内容)
・オリジナルツアー添乗員付き
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦(日本VSウエールズ)
・リッチモンドのクラブと交流(まだ決まっていなかった。)
2泊はロンドン(スタキスロンドン)2泊は郊外のマナーハウス
(ディンズフィールド・ハウス)
当初描いた構想がほぼ実現しそうになっていた。会社の休みは課長からは了解
を得ていた。
翌日から東京出張に出かける6月14日の夕方、課長と話していた。
「イギリスの話、部長にも話しておいて下さいね。もう、ほぼ決まってきまし
たから」
『実は部長には二度話したんだ』
「二度ってどうゆうことですか?」
『だめだと言われた。休暇願いにははんこを押せないと言われた』
「………」
『俺は行かせてやりたいと思っている』
「どうやって行くんですか?」
『休め。後は俺がなんとかする』
「………」
課長の気持ちはうれしいがそれはムリだと思えた。イギリスに行けなくなりそう
だ。二年準備してきたイギリスが消えていく。なにも考えられなくなっていった。
センターにいたくなかったので帰った。ボーとしながら運転をしていた。そのま
ま家に帰り『おとうさん』になる元気がなかった。車をとめ缶コーヒーを買った。
カセットを入れたら、宇多田ヒカルの『オートマチック』が流れてきた。また忘
れられない曲が出来てしまった。
次ぎの日、東京での3泊4日の研修会に出かけた。東京で年2回研修会があり、
その都度廣瀬さんにお目に掛かっていた。いつもご馳走になり、ハリマオの事に
ついて相談していた。今回はいやな話しをしなければならなくなった。気が重かっ
た。自分が行けないことは諦めるとしても、メンバーに対し、乗せるだけ乗せて
自分が行かない責任はどう取ればいいのか。申し開きが出来ないことをしてしまっ
た思いだった。年甲斐もなく落ち込んだ。心がむき出しになっていった。20年ぶ
りの悲惨な状態だった。とにかく廣瀬さんには、現状をありのままに伝えようと
思った。6月17日、霞ヶ関でお目に掛かった。
「すみません。イギリス行けなくなりました」
『なんだて~』
課長との話しを伝える。
『課長さんに迷惑が掛かるから行くのはやめた方がいいだろうな。でも君が行け
ないのは痛いな。この話しは君の夢だったからな。ん~、でも今一番悔しいの
は君だろうから泣き言は言うまい』
なにかとっても救われた気がした。ウルウルして顔が上げられなかった。
『他の者が行けなくなったのとは訳が違うので、どうなるか分からないが、出切
る限りみんなで行く方向で考えよう』
地下鉄の駅で別れ、浜松町のホテルまでひとり歩いて帰った。
悔しさと申し訳無さでいっぱいだった。トボトボと歩いていた。僕のイギリス遠
征はこの時終わった。
見上げた東京タワーが滲んで見えた。
平成11年10月7日、小島らはイギリスに向けて飛び立った。
第十三話へ
ター(PC)を買ったという。当時はまだ出始めのころだったので随分値段は高
かったと思う。
「へ~、すごいじゃん。またどうして?」
『ん~、先生も、20代のころは(おにいさん)でやれた。30代のころは(パワー)
でやれた。40代になるとそうはいかない。なにか(教える技術)がいる』
「それでPCかったの?」
『うん、自分への投資なんだ』
なんかかっこいい話しで心に残った。
平成9年の秋、本屋さんで立ち読みをしていて一冊の本に目が止まった。『ラグビ
ー・クリニック』(創刊号)とあった。ラグビー校の特集だった。その1ぺージに
は朝靄の中にたたずむラグビー校の写真が載っていた。かっこいい写真だった。
すぐに買い求めた。
夜、寝る前に布団の中で読んだ。直ぐに読み終えたが読み返していた。寝る前はラ
グビーのことを考えていると安らかに寝付ける。読むところがなくなっても写真を
ながめていた。
ラグビー校でプレーする日本人の子供の写真もあった。ストッキングのずれ方がな
んともかっこ良かった。毎晩ながめていた。ある夜思った。
「ここへ行こう!」
「ラグビー校へ行こう!!」
友人は(自分への投資)として30万円のPCを買ったが、自分は(20年以上まじめ
に働いた自分へのご褒美)に『ラグビー校探訪の旅』を自分にプレゼントしようと
思った。
会社を一週間くらい休んでも罰はあたらないと思った。雑誌を眺めていると、思い
がどんどん膨らんだ。どうも物事をひとりで完結できない性分らしい。回りの人間
を巻き添えにしたがる傾向にある。
ラグビー校へ行きたい。→イギリスに行くならワールドカップも見たい→ワールド
カップを見るならみんなと見たい。→みんなと行くならイギリスのチームと交流も
したい。
一枚の写真から、またとんでもないことを考え始めていた。『ハリマオのイギリス
遠征』である。「これはムリだよな」との思いと「みんなといっしょにイギリスに行っ
たらたのしいだろうな」との思いが同居していた。でも、迷っていたわけではなかっ
た。直ぐ図書館に行って、実現可能なのかを調べていた。理想形を決めた。
(案)【名西ハリマオイギリス遠征】
時 期:平成11年9月~11月の間(第4回ワールドカップ期間中)
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:30万円
参加人数:20名
(内容)
・オリジナルツアー
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦
・リッチモンドのクラブと交流
・2泊はロンドンのB&B、2泊は郊外のマナーハウス
とてつもなく大きな企画であり、まだなにも決まっていなかったが、これが
実現できるなら、自分の寿命が10年短くなってもいいと思っていた。
平成11年1月2日の新年会でこの企画を発表した。みんなからの賛同を得た。
一年半温めてきた企画がその時動き出した。それからはみんなの協力も仰ぎ、
具体化していった。ワールドカップのチケットが手に入らないといううわさも
あり、右往左往しながら5月初旬には概略が決まった。
【名西ハリマオイギリス遠征】(東急観光)
時 期:平成11年10月7日~12日
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:31万円
参加人数:15名
(内容)
・オリジナルツアー添乗員付き
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦(日本VSウエールズ)
・リッチモンドのクラブと交流(まだ決まっていなかった。)
2泊はロンドン(スタキスロンドン)2泊は郊外のマナーハウス
(ディンズフィールド・ハウス)
当初描いた構想がほぼ実現しそうになっていた。会社の休みは課長からは了解
を得ていた。
翌日から東京出張に出かける6月14日の夕方、課長と話していた。
「イギリスの話、部長にも話しておいて下さいね。もう、ほぼ決まってきまし
たから」
『実は部長には二度話したんだ』
「二度ってどうゆうことですか?」
『だめだと言われた。休暇願いにははんこを押せないと言われた』
「………」
『俺は行かせてやりたいと思っている』
「どうやって行くんですか?」
『休め。後は俺がなんとかする』
「………」
課長の気持ちはうれしいがそれはムリだと思えた。イギリスに行けなくなりそう
だ。二年準備してきたイギリスが消えていく。なにも考えられなくなっていった。
センターにいたくなかったので帰った。ボーとしながら運転をしていた。そのま
ま家に帰り『おとうさん』になる元気がなかった。車をとめ缶コーヒーを買った。
カセットを入れたら、宇多田ヒカルの『オートマチック』が流れてきた。また忘
れられない曲が出来てしまった。
次ぎの日、東京での3泊4日の研修会に出かけた。東京で年2回研修会があり、
その都度廣瀬さんにお目に掛かっていた。いつもご馳走になり、ハリマオの事に
ついて相談していた。今回はいやな話しをしなければならなくなった。気が重かっ
た。自分が行けないことは諦めるとしても、メンバーに対し、乗せるだけ乗せて
自分が行かない責任はどう取ればいいのか。申し開きが出来ないことをしてしまっ
た思いだった。年甲斐もなく落ち込んだ。心がむき出しになっていった。20年ぶ
りの悲惨な状態だった。とにかく廣瀬さんには、現状をありのままに伝えようと
思った。6月17日、霞ヶ関でお目に掛かった。
「すみません。イギリス行けなくなりました」
『なんだて~』
課長との話しを伝える。
『課長さんに迷惑が掛かるから行くのはやめた方がいいだろうな。でも君が行け
ないのは痛いな。この話しは君の夢だったからな。ん~、でも今一番悔しいの
は君だろうから泣き言は言うまい』
なにかとっても救われた気がした。ウルウルして顔が上げられなかった。
『他の者が行けなくなったのとは訳が違うので、どうなるか分からないが、出切
る限りみんなで行く方向で考えよう』
地下鉄の駅で別れ、浜松町のホテルまでひとり歩いて帰った。
悔しさと申し訳無さでいっぱいだった。トボトボと歩いていた。僕のイギリス遠
征はこの時終わった。
見上げた東京タワーが滲んで見えた。
平成11年10月7日、小島らはイギリスに向けて飛び立った。
第十三話へ
第十一話 【ハリマオの初勝利】
岐惑の葛西さんからは、またやろうと電話をもらっていた。自分としても再戦
を望んでいた。出来ることなら今度は、こちらでグランドを用意して招待した
いと考えていた。芝のグランドとなると瑞穂か光明寺になるが、瑞穂は遠いか
らいやだと言う。贅沢なおじさんたちである。そうなると光明寺しかない。
協会に多少顔が利く大原や一宮LPと関係のある木野に光明寺を何とかできな
いかお願いしていた。
彼らの努力の効あって、平成9年5月5日、光明寺のサブグランドで岐惑と再
戦をした。みんなの意気込みはすごかったが負けた。前回よりはるかに内容は
良かったが、やはり負けてしまった。我々の意気込みが空回りしていて、彼ら
の老かいさにかわされた感じだった。
みんなには、
「ハリマオの実力からすればこんなもんだよな」
と言っていたが、本当は勝ちたいと思っていた。なぜか岐惑にはファイトが沸
いていた。どうせ勝つならこのチームからだと思っていた。
ハリマオは岐惑に気にいられたようで、定期的に試合を組んでくれるようにな
った。力の差を埋めるために練習をした。練習は常に岐惑戦を想定していた。
力の差を少しでも埋めるために作戦も考え、試した。そして負けて帰ってはま
た考えた。通勤途中は勿論のこと、時には仕事中も考えていた。当時、堀江ち
ゃんとはいっしょの職場だったので検討会をふたりで開いた。検討会で話し合
ったことは練習にも取り入れた。奇襲作戦のアイデアを出しては、堀江ちゃん
にボツにされた。
何回か試合を重ねるうち、力の差が埋っていると感じるようにはなっていた。
メンバーからも
『最初のころはとても勝てないと思っていたけど、ひょっとしたら勝てるかも
と思うようになりました』
という声が聞かれるようになった。いい感じになってきた。もう一息だった。
また、堀江ちゃんと検討会を開いていた。ハリマオの力の全てを岐惑にぶつけ
たかった。勝ちにこだわっていたのには、別の理由もあった。ハリマオは年功
序列のチーム構成できていた。「年寄り先発、全員参加」を基本にしていた。
ポジションも年寄りから当て嵌めていたが、「強さ」を求めるなら違った布陣も
考えられた。いつまでもそうしている訳にもいかない。若い連中が可哀想であ
る。いずれは変えなければと考えていた。そのためにも早く今のままで一勝し
たかった。
廣瀬さんや小島や佐々木や加藤先生が、先発しているチームで勝ちたかった。
勝つだけならエンジャにゃ~ズから大勢応援を入れれば済む話であったがこだ
わりがあった。
「なんとか勝てないかな?」
『まだ、勝てないですよ』
「なんでよ。もう少しじゃん」
『だって、あの人たちうまいですもん』
「俺たちだってうまくなってるじゃん。練習がんばってるじゃん」
『ええ、じょじょに差はなくなっていますよ。最近の岐惑戦は善戦してますよ』
「善戦しているだけじゃダメなんだ」
そして、平成11年9月26日を迎えた。5回目の岐惑戦である。しかし、この試合
に関して、僕には語る資格がない。参加していない。
9月20日から22日まで新潟で行われた血液事業学会に行った。出発する前から風
邪をひいていた。学会中おとなしくしていればいいのに飲んだ。
学会会場で製剤部長から声を掛けられた。
『林、今晩、めし行くぞ』
「はい、かしこまりました」
『誰か誘っておけ』
「はい、製剤課の女の子でいいですか?」
『まかせた』
製剤課の女の子4人を引き連れ居酒屋へ行った。
「部長、〔越しの寒梅〕がありますよ」
『おお、頼め』
サラリーマンの悲しい嵯峨、場を盛り上げるため飲んで騒いだ。ふだん日本酒は
飲まないのに、この時とばかりに越しの寒梅をたらふく飲んだ。どうせ部長のお
ごりだし。
部長はご機嫌で帰ったが、完全に声はつぶれ風邪はこじらせた。
ホテルにたどり着いて逝った。
みんなにはメールでその旨を伝え、熱が下がるのを願った。
当日の朝、残念ながら熱は下がっていなかった。桂ちゃんに電話した。
「やっぱ、ダメだ」声も出ていなかった。
『ひどそうね』
「とにかくTICOTまで送るわ」
『ううん、私なら自分で行くから寝てて』
「ううん、TICOTまで行く」
ゲームに出られないにしろみんなを送り出したかった。自分なりの『けじめ』の
つもりだった。
みんなを送り、家にもどり意識不明になった。
『周ちゃん、勝っちまったぞ~!』
夕方、加藤先生からとぼけた声で電話が入った。
これは熱のせいの夢に違いないと思った。しかし受話器は握っていった。夢にし
ては念が入っている。加藤先生の後ろで
『林、勝ったぞ。寝てる場合じゃね~ぞ。ガヤガヤガヤ…』
とも聞こえてきた。受話器の向こうの興奮が伝わって来る。これは夢ではなさそ
うだ。
『夢』が叶った瞬間だった。
自分は出られなかったが、悔しいと思うよりうれしさが込み上げてきた。
「やったね。みんなおめでとう!!」 飛び跳ねたいところだったが、その元気は
なかった。
即刻、みんなからメールももらった。
『勝った、勝った、勝った、勝った、勝った』
『林さん、岐惑に勝ちました』
『周ちゃん、ついにやったよ!初勝利!』
みんなの弾んだ気持ちが伝わってきた。疲れているのに、早く試合内容を知らせ
ようとキーボードをたたいてくれたのだろう。みんなの気持ちがうれしかった。
みんなから『ハリマオの初勝利』と『仲間を思うやさしさ』をプレゼントしても
らった。
夜中起きだし、ひとり儀式を行った。
ジャージを取りだし、ハリマオのエンブレムを握り、告げた。
(あの日の約束は果たしました。ハリマオを誉めて下さい。ハリマオは素敵な
チームです。)
第十二話へ
を望んでいた。出来ることなら今度は、こちらでグランドを用意して招待した
いと考えていた。芝のグランドとなると瑞穂か光明寺になるが、瑞穂は遠いか
らいやだと言う。贅沢なおじさんたちである。そうなると光明寺しかない。
協会に多少顔が利く大原や一宮LPと関係のある木野に光明寺を何とかできな
いかお願いしていた。
彼らの努力の効あって、平成9年5月5日、光明寺のサブグランドで岐惑と再
戦をした。みんなの意気込みはすごかったが負けた。前回よりはるかに内容は
良かったが、やはり負けてしまった。我々の意気込みが空回りしていて、彼ら
の老かいさにかわされた感じだった。
みんなには、
「ハリマオの実力からすればこんなもんだよな」
と言っていたが、本当は勝ちたいと思っていた。なぜか岐惑にはファイトが沸
いていた。どうせ勝つならこのチームからだと思っていた。
ハリマオは岐惑に気にいられたようで、定期的に試合を組んでくれるようにな
った。力の差を埋めるために練習をした。練習は常に岐惑戦を想定していた。
力の差を少しでも埋めるために作戦も考え、試した。そして負けて帰ってはま
た考えた。通勤途中は勿論のこと、時には仕事中も考えていた。当時、堀江ち
ゃんとはいっしょの職場だったので検討会をふたりで開いた。検討会で話し合
ったことは練習にも取り入れた。奇襲作戦のアイデアを出しては、堀江ちゃん
にボツにされた。
何回か試合を重ねるうち、力の差が埋っていると感じるようにはなっていた。
メンバーからも
『最初のころはとても勝てないと思っていたけど、ひょっとしたら勝てるかも
と思うようになりました』
という声が聞かれるようになった。いい感じになってきた。もう一息だった。
また、堀江ちゃんと検討会を開いていた。ハリマオの力の全てを岐惑にぶつけ
たかった。勝ちにこだわっていたのには、別の理由もあった。ハリマオは年功
序列のチーム構成できていた。「年寄り先発、全員参加」を基本にしていた。
ポジションも年寄りから当て嵌めていたが、「強さ」を求めるなら違った布陣も
考えられた。いつまでもそうしている訳にもいかない。若い連中が可哀想であ
る。いずれは変えなければと考えていた。そのためにも早く今のままで一勝し
たかった。
廣瀬さんや小島や佐々木や加藤先生が、先発しているチームで勝ちたかった。
勝つだけならエンジャにゃ~ズから大勢応援を入れれば済む話であったがこだ
わりがあった。
「なんとか勝てないかな?」
『まだ、勝てないですよ』
「なんでよ。もう少しじゃん」
『だって、あの人たちうまいですもん』
「俺たちだってうまくなってるじゃん。練習がんばってるじゃん」
『ええ、じょじょに差はなくなっていますよ。最近の岐惑戦は善戦してますよ』
「善戦しているだけじゃダメなんだ」
そして、平成11年9月26日を迎えた。5回目の岐惑戦である。しかし、この試合
に関して、僕には語る資格がない。参加していない。
9月20日から22日まで新潟で行われた血液事業学会に行った。出発する前から風
邪をひいていた。学会中おとなしくしていればいいのに飲んだ。
学会会場で製剤部長から声を掛けられた。
『林、今晩、めし行くぞ』
「はい、かしこまりました」
『誰か誘っておけ』
「はい、製剤課の女の子でいいですか?」
『まかせた』
製剤課の女の子4人を引き連れ居酒屋へ行った。
「部長、〔越しの寒梅〕がありますよ」
『おお、頼め』
サラリーマンの悲しい嵯峨、場を盛り上げるため飲んで騒いだ。ふだん日本酒は
飲まないのに、この時とばかりに越しの寒梅をたらふく飲んだ。どうせ部長のお
ごりだし。
部長はご機嫌で帰ったが、完全に声はつぶれ風邪はこじらせた。
ホテルにたどり着いて逝った。
みんなにはメールでその旨を伝え、熱が下がるのを願った。
当日の朝、残念ながら熱は下がっていなかった。桂ちゃんに電話した。
「やっぱ、ダメだ」声も出ていなかった。
『ひどそうね』
「とにかくTICOTまで送るわ」
『ううん、私なら自分で行くから寝てて』
「ううん、TICOTまで行く」
ゲームに出られないにしろみんなを送り出したかった。自分なりの『けじめ』の
つもりだった。
みんなを送り、家にもどり意識不明になった。
『周ちゃん、勝っちまったぞ~!』
夕方、加藤先生からとぼけた声で電話が入った。
これは熱のせいの夢に違いないと思った。しかし受話器は握っていった。夢にし
ては念が入っている。加藤先生の後ろで
『林、勝ったぞ。寝てる場合じゃね~ぞ。ガヤガヤガヤ…』
とも聞こえてきた。受話器の向こうの興奮が伝わって来る。これは夢ではなさそ
うだ。
『夢』が叶った瞬間だった。
自分は出られなかったが、悔しいと思うよりうれしさが込み上げてきた。
「やったね。みんなおめでとう!!」 飛び跳ねたいところだったが、その元気は
なかった。
即刻、みんなからメールももらった。
『勝った、勝った、勝った、勝った、勝った』
『林さん、岐惑に勝ちました』
『周ちゃん、ついにやったよ!初勝利!』
みんなの弾んだ気持ちが伝わってきた。疲れているのに、早く試合内容を知らせ
ようとキーボードをたたいてくれたのだろう。みんなの気持ちがうれしかった。
みんなから『ハリマオの初勝利』と『仲間を思うやさしさ』をプレゼントしても
らった。
夜中起きだし、ひとり儀式を行った。
ジャージを取りだし、ハリマオのエンブレムを握り、告げた。
(あの日の約束は果たしました。ハリマオを誉めて下さい。ハリマオは素敵な
チームです。)
第十二話へ
第十話 【色物チーム ハリマオ】
エンジャにゃ~ズという練習相手も出来たし、メンバーも少しずつ増えていた。
太田肇(太田)中島靖浩(中島)もハリマオで知り合ったメンバーである。ふた
りは同期であり、おまけにふたりとも名西ガールと結婚している。よく似たふた
りであるが、太田は黙っているともてそうである。
(しゃべると見かけによらず硬派で固いことを言う。女性にはくどいだろう)
中島はしゃべった方が良い。(話にうんちくがあり、酒が入るとさらに面白い)
そうな彼らともズーと前から知り合いの様になっている。ハリマオは自分に大勢
の人々を引き合わせてくれている。
『ハリマオもラグビー協会に登録しましょう』
と大原たちから言われていたが、反対していた。反対というよりも、その必要が
ないと思っていた。我々は草ラグビーであり、草ラグビーのままでいたいと思っ
ていた。どこの団体に所属しているわけでもない。ただただラグビーが好きな者
が集まり、ただただ楕円球と遊ぶ『より自由で、よりたのしい』集まりでいいと
考えていた。その行為のどこにラグビー協会が必要なんだろう。組織や所属にと
らわれたくないと考えていた。よりシンプルでいたかった。
しかし、試合をするにあたっては、無所属が大きな弊害となった。桂ちゃんの紹
介で東惑の方にお目に掛かった時も
『試合をするのはかまいませんが、ラグビー協会に入っていないのは困ります』
と言われた。東惑にはラグビー協会の理事もいるのでラグビー協会に入っていな
いチームとは試合が出来ないと言われた。一宮LPからも言われていた。どうも
釈然としなかったが、我々が試合出来るチームも限られている。我々の年齢で、
ラグビー協会と無縁でプレーしている人々はあまりいなさそうだった。その意味
でも我々は異色だった。異色なら異色で自分たちの路線で行きたかったが、瀬に
腹は代えられないので妥協し、ラグビー協会に登録することにした。
協会登録に行って不愉快になった。来るんじゃなかったと思った。協会役員は学
校の先生が多いためか、みんな高圧的な態度だった。申請書類の細部まで偉そう
な態度で指示された。
温厚なこの僕が、
「おまえたちにラグビーやらせてもらってるんじゃ~ね~」
と叫びそうになったが、我慢して登録を済ませた。あの時以来、協会登録は誰か
にお願いして自分では行っていない。そんなこともあって、未だに協会登録には
疑問を持っている。
ただ協会登録したお陰と大原たちの広報活動の成果が出だした。協会の中では、
『名西ハリマオはエンジャにゃ~ズの兄貴分的チームであり、あまりラフプレー
をしない弱いチームだ』
と広まっていった。そんなこんなで試合の話しが舞い込んでくるようになった。
そのころのハリマオは、『岐惑戦効果』もあって充実した練習をしていた。同じ
時間数練習しても目的を持つと違っていた。舞い込んだ試合申し込みも全部受け
た。
平成9年3月16日(新城市の何かの大会)
会場に行くのに迷子になったこと以外憶えていない。
平成10年4月12日「豊橋ラグビー祭招待試合」
対豊橋クラブ戦、イエロージャージお披露目戦だったが遅刻してボロボロ。
平成10年5月17日「新城市民大会招待試合」
対新城クラブ戦、雨により中止。
紳士的な弱いチームは招待試合には最適だった。そして、回りの期待通り負ける
から次ぎのお呼びもかかった。ハリマオは『色物チーム』になりかけていた。
際目付けが、「各務原市市民大会招待試合」で相手は川崎重工・航空自衛隊連合軍
というではないか。ハリマオも自衛隊から試合の申し込みが入るまで成長してい
た(?)
見つけてきたのは、植竹芳裕(植竹)である。彼は植竹康人(兄ちゃん)の弟で
ある。つまり兄弟で名西ラグビー部でありハリマオである。兄ちゃんは高校時代
いっしょにプレーしたが、まったくルールを知らない。オフサイドラインが分か
っていない。疲れ知らずでよく走るのはいいがとんでもない所から出てくる。
味方でありながらびっくりする。相手はもちろんもっとびっくりしている。以前
はルールを説明したが今は「放し飼い」になっている。兄ちゃんが反面教師になっ
たのか、植竹はわきまえている。おまけにファイトマンであり、試合中彼の突き
刺すようなタックルを何度も見た。脳震盪もよくやるので時々ボケているのも仕
方がないと思っていたが、自衛隊との試合はボケすぎである。
「自衛隊は言いすぎだぞ」
『そんなことないですよ。時々、川重(川崎重工)でいっしょにやりますけど大
したことないですよ』
「でも自衛隊なら、暇にまかせて体を鍛えてるんだろ?」
『まあ、体は鍛えてますけど、頭は鍛えてないですよ』
「おもしろいじゃん。でも、おれたち壊されるぞ」
『まあ、走ることは走りますけど、タックルするなと言っときます。やりましょ
~よ』
「ん~、グランドは?」
『基地のグランドで芝とは言い難いですが草のグランドですよ。アフターファン
クションのバーベキュー付きですよ』
バーベキューに吊られたわけでもあるが、彼の熱意に負けて了解した。
平成11年5月23日(日)の試合の二日くらい前の日、植竹から電話がかかっ
てきた。
『すみません。試合に出られなくなりました』
「おいおい、君の企画だぞ。仕事でも入ったの?」
『いいえ、仕事ではないですけれど、母が亡くなりました』
も~勘弁して下さい。反応出来ない事を言わないで下さい。
『兄も行けませんが、後のことは川重の村上という者に話してありますので、行
けば分かります』
「そんな事はいいから、母上の事をちゃんとやれ!」
これだけ言うのがやっとだった。
土曜日、お通夜に参列し、母上のご霊前で手を合わせお伝えした。
「ご子息はふたりともりっぱな社会人になっていますよ。安心してお休み下さい」
日曜日、試合の前にメンバーを集め話した。全員で黙祷を捧げ、ご冥福を祈った。
みんな暗い顔をしていた。何か言いたかったが、いい言葉が見つからず、精一杯
の強がりを言った。
「今日の試合は、植竹兄弟の分までラグビーを楽しもう」
相手チームはおじさんもいたが、ムキムキマンもいた。そのムキムキマンが走るは
走るは。分けなく走り回っている。どこのポイントでもハリマオの倍の人数がいた。
技術以前の体力負けをした。彼らがいる限り、日本の国防も大丈夫と思えた。そし
て、また接待試合をしてしまった。名西ラグビー部もそうであったが、ハリマオも
強い相手には善戦するのに、弱い相手にも合わせてしまって、お約束のように負け
てしまう。あ~あ、もうそろそろ勝ちたいよな。
試合後のバーベキューはヤケ食いをした。敗戦の腹いせに死ぬほど食ってやった。
その成果で途中で肉が足りなくなり、幹事が肉を買いに走っていた。精一杯の抵抗
であった。
「ざま~みろ」と言いたところだが、なさけなっかった。こんなことしか出来ない。
お腹がいっぱいになったころ、桂ちゃんに聞いてみた。
「今日の試合どうだった?」
『なにかハリマオのみんなを見ていると、スローモーションを見てるみたいだった
よ』
ガ~ン、ガンガンガン、自分でもうすうす感じてはいたが、あまりに素直すぎるご
意見。
返す言葉もない。ウシ。
「こっち肉ね~ぞ。ビールもね~ぞ。ビール、ビール」
今日は酔いつぶれてやる~
第十一話へ
太田肇(太田)中島靖浩(中島)もハリマオで知り合ったメンバーである。ふた
りは同期であり、おまけにふたりとも名西ガールと結婚している。よく似たふた
りであるが、太田は黙っているともてそうである。
(しゃべると見かけによらず硬派で固いことを言う。女性にはくどいだろう)
中島はしゃべった方が良い。(話にうんちくがあり、酒が入るとさらに面白い)
そうな彼らともズーと前から知り合いの様になっている。ハリマオは自分に大勢
の人々を引き合わせてくれている。
『ハリマオもラグビー協会に登録しましょう』
と大原たちから言われていたが、反対していた。反対というよりも、その必要が
ないと思っていた。我々は草ラグビーであり、草ラグビーのままでいたいと思っ
ていた。どこの団体に所属しているわけでもない。ただただラグビーが好きな者
が集まり、ただただ楕円球と遊ぶ『より自由で、よりたのしい』集まりでいいと
考えていた。その行為のどこにラグビー協会が必要なんだろう。組織や所属にと
らわれたくないと考えていた。よりシンプルでいたかった。
しかし、試合をするにあたっては、無所属が大きな弊害となった。桂ちゃんの紹
介で東惑の方にお目に掛かった時も
『試合をするのはかまいませんが、ラグビー協会に入っていないのは困ります』
と言われた。東惑にはラグビー協会の理事もいるのでラグビー協会に入っていな
いチームとは試合が出来ないと言われた。一宮LPからも言われていた。どうも
釈然としなかったが、我々が試合出来るチームも限られている。我々の年齢で、
ラグビー協会と無縁でプレーしている人々はあまりいなさそうだった。その意味
でも我々は異色だった。異色なら異色で自分たちの路線で行きたかったが、瀬に
腹は代えられないので妥協し、ラグビー協会に登録することにした。
協会登録に行って不愉快になった。来るんじゃなかったと思った。協会役員は学
校の先生が多いためか、みんな高圧的な態度だった。申請書類の細部まで偉そう
な態度で指示された。
温厚なこの僕が、
「おまえたちにラグビーやらせてもらってるんじゃ~ね~」
と叫びそうになったが、我慢して登録を済ませた。あの時以来、協会登録は誰か
にお願いして自分では行っていない。そんなこともあって、未だに協会登録には
疑問を持っている。
ただ協会登録したお陰と大原たちの広報活動の成果が出だした。協会の中では、
『名西ハリマオはエンジャにゃ~ズの兄貴分的チームであり、あまりラフプレー
をしない弱いチームだ』
と広まっていった。そんなこんなで試合の話しが舞い込んでくるようになった。
そのころのハリマオは、『岐惑戦効果』もあって充実した練習をしていた。同じ
時間数練習しても目的を持つと違っていた。舞い込んだ試合申し込みも全部受け
た。
平成9年3月16日(新城市の何かの大会)
会場に行くのに迷子になったこと以外憶えていない。
平成10年4月12日「豊橋ラグビー祭招待試合」
対豊橋クラブ戦、イエロージャージお披露目戦だったが遅刻してボロボロ。
平成10年5月17日「新城市民大会招待試合」
対新城クラブ戦、雨により中止。
紳士的な弱いチームは招待試合には最適だった。そして、回りの期待通り負ける
から次ぎのお呼びもかかった。ハリマオは『色物チーム』になりかけていた。
際目付けが、「各務原市市民大会招待試合」で相手は川崎重工・航空自衛隊連合軍
というではないか。ハリマオも自衛隊から試合の申し込みが入るまで成長してい
た(?)
見つけてきたのは、植竹芳裕(植竹)である。彼は植竹康人(兄ちゃん)の弟で
ある。つまり兄弟で名西ラグビー部でありハリマオである。兄ちゃんは高校時代
いっしょにプレーしたが、まったくルールを知らない。オフサイドラインが分か
っていない。疲れ知らずでよく走るのはいいがとんでもない所から出てくる。
味方でありながらびっくりする。相手はもちろんもっとびっくりしている。以前
はルールを説明したが今は「放し飼い」になっている。兄ちゃんが反面教師になっ
たのか、植竹はわきまえている。おまけにファイトマンであり、試合中彼の突き
刺すようなタックルを何度も見た。脳震盪もよくやるので時々ボケているのも仕
方がないと思っていたが、自衛隊との試合はボケすぎである。
「自衛隊は言いすぎだぞ」
『そんなことないですよ。時々、川重(川崎重工)でいっしょにやりますけど大
したことないですよ』
「でも自衛隊なら、暇にまかせて体を鍛えてるんだろ?」
『まあ、体は鍛えてますけど、頭は鍛えてないですよ』
「おもしろいじゃん。でも、おれたち壊されるぞ」
『まあ、走ることは走りますけど、タックルするなと言っときます。やりましょ
~よ』
「ん~、グランドは?」
『基地のグランドで芝とは言い難いですが草のグランドですよ。アフターファン
クションのバーベキュー付きですよ』
バーベキューに吊られたわけでもあるが、彼の熱意に負けて了解した。
平成11年5月23日(日)の試合の二日くらい前の日、植竹から電話がかかっ
てきた。
『すみません。試合に出られなくなりました』
「おいおい、君の企画だぞ。仕事でも入ったの?」
『いいえ、仕事ではないですけれど、母が亡くなりました』
も~勘弁して下さい。反応出来ない事を言わないで下さい。
『兄も行けませんが、後のことは川重の村上という者に話してありますので、行
けば分かります』
「そんな事はいいから、母上の事をちゃんとやれ!」
これだけ言うのがやっとだった。
土曜日、お通夜に参列し、母上のご霊前で手を合わせお伝えした。
「ご子息はふたりともりっぱな社会人になっていますよ。安心してお休み下さい」
日曜日、試合の前にメンバーを集め話した。全員で黙祷を捧げ、ご冥福を祈った。
みんな暗い顔をしていた。何か言いたかったが、いい言葉が見つからず、精一杯
の強がりを言った。
「今日の試合は、植竹兄弟の分までラグビーを楽しもう」
相手チームはおじさんもいたが、ムキムキマンもいた。そのムキムキマンが走るは
走るは。分けなく走り回っている。どこのポイントでもハリマオの倍の人数がいた。
技術以前の体力負けをした。彼らがいる限り、日本の国防も大丈夫と思えた。そし
て、また接待試合をしてしまった。名西ラグビー部もそうであったが、ハリマオも
強い相手には善戦するのに、弱い相手にも合わせてしまって、お約束のように負け
てしまう。あ~あ、もうそろそろ勝ちたいよな。
試合後のバーベキューはヤケ食いをした。敗戦の腹いせに死ぬほど食ってやった。
その成果で途中で肉が足りなくなり、幹事が肉を買いに走っていた。精一杯の抵抗
であった。
「ざま~みろ」と言いたところだが、なさけなっかった。こんなことしか出来ない。
お腹がいっぱいになったころ、桂ちゃんに聞いてみた。
「今日の試合どうだった?」
『なにかハリマオのみんなを見ていると、スローモーションを見てるみたいだった
よ』
ガ~ン、ガンガンガン、自分でもうすうす感じてはいたが、あまりに素直すぎるご
意見。
返す言葉もない。ウシ。
「こっち肉ね~ぞ。ビールもね~ぞ。ビール、ビール」
今日は酔いつぶれてやる~
第十一話へ
第九話 【岐阜惑々クラブ】
庄内川河川敷をホームーグランドにしてからは、順調に練習を行っていた。
合宿の時、小島とハリマオの方向性を話し合った。彼は、『今後、このチーム
を存続して行くためには名西出身にこだわらないで、年齢にこだわったチーム
で行くべき』と考えていた。
自分としては、そのころはまだ『名西』にこだわっていた。自分の当初目標が
『名西グランドの再現』だったからである。ただ、現在練習に参加していない
同期の者には、もうプレーは勧められないと考えていた。40歳過ぎて、いきな
りラグビーでは骨折や怪我をする危険性が高い。それでなくても参加している
メンバーは、その時までにもう9人13本の骨が折れていた。
斯く言う自分の体も無傷というわけではなかった。鎖骨は高校時代に折れてい
るし、両足首・左手首は筋が切れて回すと音がし、右肩はずれている。自分の
体は死ぬまで五体満足でいたいとも思わないが、仲間の骨折には、一本一本責
任を感じていた。
「自分がこんなことを言い出さなければ…こんなことに誘わなければ…」
と悩んだり、気の重い時期もあったが、その都度みんなから励まされた。
『別に、おまえのためにラグビーやってる訳じゃないから。みんな自分たちが
好きでやっているんだからな。おまえに感謝こそすれ、恨むことはないよ』
嬉しかったが、そう言われれば言われるほど、もう怪我をさせたくなかった。
このころから練習の連絡は、いつも河川敷に集まってくるメンバーに絞った。
平成8年4月21日、大原が見つけてきた「レッドウォーリヤーズ」という、よく
知らないチームと光明寺の芝のグランドで試合をした。メンバーの中には試合
は、怪我が怖いので河川敷の練習だけでいいと言う者もいた。そんな状態だっ
たので結果はシャッタウトで負けたが怪我がなかっただけで、気分は爽快だっ
た。試合後、グランド脇に座りこみ、プレーの話しで盛り上がっていた。
そしたらノシノシと大柄なおじさんが近づいてきて言った。
『責任者の方いますか?』
誰も返事をしない。我がチームに責任者なぞいない。しいて言えば全員が責任
者である。
『岐阜惑々クラグ(岐惑)と言いますが試合をお願いできませんか?』
葛西満(葛西さん)の登場である。年のわりには大柄でおまけに声もでかい。
しかし、笑うとかわいい。彼は岐惑の主務を担当しているとの事。岐惑は文字
通り40才以上のメンバーが中心で、主に試合をしており練習はあまりしないチ
ームだという。
試合は芝のグランドしかしないとのこと。かっこいいではないか。そのチーム
からの試合の申し込みである。もちろんグランドは用意するとの事。我々には
願ってもない話しであり、よだれが垂れそうであった。
すぐにでも
「お願いします」と言い出しそうだったが、一応、
「どうして負けた我々に声を掛けるんですか?レッドウォーリヤーズさんの方
がいいんじゃないですか?」と言ってみた。
『いや~ おたくらの方が紳士的だったから。ラフプレーは困るんだ。ウチは
年寄りが多いから怪我がこわいのでね』
「まったく、葛西さん言い方うまいんだから。本当は勝ちたいんでしょう」
目上の方なのに、彼の笑顔に誘われてなれなれしく話していた。
『秋にグランドが取れたら、良かったらどうかね?』
「是非お願いします」
『分かった、ところでおたくのチーム名は?』
「名西ハリマオと申します。よろしくお願いします」
半信半疑でいたら、秋に試合の申し込みの電話がかかってきた。もちろん即答で
「OK」した。グランドは大垣でいささか遠かったが芝のグランドとのことだった。
連絡をもらった後の練習は、試合を想定した練習に変わりサインプレーなども考
えるようになり大いに励みになった。
【第1回岐阜惑々クラブ戦】
日 程:平成8年12月8日(日)
場 所:(大垣)浅中公園グランド
Kick Off:14:00
〔プレーヤー〕
PR:澤田康則・植竹康人・大原雅彦
HO:山本隆志
LO:林周治・太田肇
FL:堀江昭伸・大橋英隆
NO8:廣瀬恵紀
SH:小島徳康
SO:堀井貞克
CTB:久松市吾・植竹芳裕・中島靖浩
WTB:川口久之・加藤武志・道家浩之
FB:佐々木英典
〔マネージャー〕
中嶋桂子
この日の出来事はその後のハリマオの『道しるべ』になった日でもあった。
「いいグランドじゃん」 浅中公園グランドは名前のわりには立派であり、
更衣室も整備されたタータントラックのグランドで芝も良かった。
まずは、葛西さんに挨拶に行く。すると『ウチは60才以上(赤パン)が二人
入るからタックルはほどほどに』とのこと。
「え~ 60才以上の方が出られるんですか?」
『お~ 出るってきかないからよ~ ま~並のじいさんとは違うけどな』
『5分か10分ぐらいで替わるけどな。50才以上(青パン)はいいからどんど
んタックル行ってくれ』
「は~い、分かりました…」
分かりましたとは言ったが、そんなじいさんたちと試合をしていいのか?と
思いながら、チームに戻り、葛西さんから聞いたことをそのまま伝えた。
みんなも驚く。
『え~ 怪我させたらどうするの?』
「分からない」
『骨が折れたら一生つながらないんじゃない?』
「分からない。とにかく赤パンにロータックルは入るな。ラフプレーはする
な」と話す。
キックオフの笛が鳴る。この時はいつもドキドキする。舞い上がったボール
を見ながら怪我をしない事、怪我をさせないことを祈る。そんなことを考え
ているからボールを落とすのだが。
最初のアタリで分かった。この人たちは、並のおじさんではない。
最初のラックで分かった。この人たちは違う。
最初のライン攻撃で分かった。この人たちはうまい。
相手のことを心配している場合ではなかった。葛西さんにしてやられた。ハ
リマオは受身一方だった。決して彼らが走り回っている訳ではない。ハリマ
オの方が走っていて、ポイントにはハリマオの方が集まっている。しかしそ
のポイントを小人数の岐惑にコントロールされ、オープンに回されトライを
奪われる。体の入れ方がうまい。球際の処理がうまい。全員がラグビーをよ
く知っている。若い時は相当やっていたと思われた。
同じパターンでやられるがハリマオには修正する力はなかった。トライを5本
くらい取られてしまった。
どうしてこんなおじさんたちにやられるのだろう?悔しくて、一生懸命走っ
た。ハリマオの反撃もあった。ハーフェーライン付近のスクラムから出たボー
ルにポイントを作り、こぼれたボールを久松市吾(久松)が相手にあたりなが
ら、絶妙のタイミングで堀井ちゃんにパス。堀井ちゃんが約50ヤードを走り
切りトライを奪った。ハリマオの記念すべきファースト・トライの瞬間であっ
た。うれしかった。グランドで吠えていた記憶がある。
50ヤードを走り切った堀井ちゃんもすごいが、倒れながらパスを出した久松が
よかった。あのトライは久松の物だと思っている。記録には残らないが、ぼく
たちの記憶から消えることはないだろう。
ノーサイドの笛が鳴った時、みんな崩れ落ちていた。始めての光景であった。
みんな力を出し尽くしていた。やっと立ちあがり挨拶をした。その後、エール
交換の『スリーチェアーズ』をされた。またも、やられた。かねがねやりたい
と思っていた『スリーチェアーズ』だが、まだ練習していなかったので、葛西
さんに挨拶に行った。
「ありがとうございました」
『いや~ たのしかったな』
「はい、ぼくたちも」
とは言ったが悔しかった。ハリマオをやりだして、始めて悔しいと思っていた。
それまでに出会ったチームより数段すばらしいチームだったので、このチーム
に勝ちたいと思っていた。
『何も無いが、交流会を準備してあるんで来て下さい』との事だ。
またまたやられた。
アフターファンクションが準備されていた。
本国イギリスの試合方式そのものだった。
・試合はホームアンドアウェー方式(ラグビー界ではワールドカップが始まる
までトーナメント方式はなかった)
・試合後のエール交換
・アフターファンクション(ノーサイドの精神、スピーチの仕方を覚える)
話は知っていたがちゃんとやっている人たちがいるのだと感心した。イギリス
のパブリックスクールでラグビーが珍重されている由縁である。
ここがサッカーとは訳が違う。ラグビーに能書きが多いのも大好きである。
これ以降のハリマオの試合は、出来る限りこの形にしている。
アフターファンクションは、一杯のビールと試合中のプレーの話しをつまみに
充分盛り上がった。さもずっと以前から友達であったように。これがラグビー
をする本来の姿に思えた。相手のことも気遣う『ゆとりのあるラグビー』をし
たかった。あんなにうまかった人たちも着替えたら、気さくなおじさんになっ
ていた。
話しを聞いたら、やはり彼らは物が違っていた。岐阜ラグビー協会の理事、
日体大OB等そうそうたるメンバーだった。プレーのこと、チームの運営方法な
ど教えを請うこともいっぱいあった。それよりも何よりも彼らの存在事態が励
みになった。自分たちはまだ老け込む年ではないと思い知らされた。彼らの笑
顔は青年そのままだった。
終わりの挨拶替わりに、みんなで肩を組んで『怪傑ハリマオ』を歌った。
とってもいい気持ちだった。
帰り支度をしながら、ハリマオのエンブレムをにぎり、誓った。
(今日お世話になったお礼は、いずれ『ハリマオの勝利』でお返しします。)
帰りの車の中、みんな口々に言っていた。
『何かすごい人たちでしたね。お手本になるチームでしたね』
この日の夕日は、ふだんより赤く大きく見えた。
第十話へ
合宿の時、小島とハリマオの方向性を話し合った。彼は、『今後、このチーム
を存続して行くためには名西出身にこだわらないで、年齢にこだわったチーム
で行くべき』と考えていた。
自分としては、そのころはまだ『名西』にこだわっていた。自分の当初目標が
『名西グランドの再現』だったからである。ただ、現在練習に参加していない
同期の者には、もうプレーは勧められないと考えていた。40歳過ぎて、いきな
りラグビーでは骨折や怪我をする危険性が高い。それでなくても参加している
メンバーは、その時までにもう9人13本の骨が折れていた。
斯く言う自分の体も無傷というわけではなかった。鎖骨は高校時代に折れてい
るし、両足首・左手首は筋が切れて回すと音がし、右肩はずれている。自分の
体は死ぬまで五体満足でいたいとも思わないが、仲間の骨折には、一本一本責
任を感じていた。
「自分がこんなことを言い出さなければ…こんなことに誘わなければ…」
と悩んだり、気の重い時期もあったが、その都度みんなから励まされた。
『別に、おまえのためにラグビーやってる訳じゃないから。みんな自分たちが
好きでやっているんだからな。おまえに感謝こそすれ、恨むことはないよ』
嬉しかったが、そう言われれば言われるほど、もう怪我をさせたくなかった。
このころから練習の連絡は、いつも河川敷に集まってくるメンバーに絞った。
平成8年4月21日、大原が見つけてきた「レッドウォーリヤーズ」という、よく
知らないチームと光明寺の芝のグランドで試合をした。メンバーの中には試合
は、怪我が怖いので河川敷の練習だけでいいと言う者もいた。そんな状態だっ
たので結果はシャッタウトで負けたが怪我がなかっただけで、気分は爽快だっ
た。試合後、グランド脇に座りこみ、プレーの話しで盛り上がっていた。
そしたらノシノシと大柄なおじさんが近づいてきて言った。
『責任者の方いますか?』
誰も返事をしない。我がチームに責任者なぞいない。しいて言えば全員が責任
者である。
『岐阜惑々クラグ(岐惑)と言いますが試合をお願いできませんか?』
葛西満(葛西さん)の登場である。年のわりには大柄でおまけに声もでかい。
しかし、笑うとかわいい。彼は岐惑の主務を担当しているとの事。岐惑は文字
通り40才以上のメンバーが中心で、主に試合をしており練習はあまりしないチ
ームだという。
試合は芝のグランドしかしないとのこと。かっこいいではないか。そのチーム
からの試合の申し込みである。もちろんグランドは用意するとの事。我々には
願ってもない話しであり、よだれが垂れそうであった。
すぐにでも
「お願いします」と言い出しそうだったが、一応、
「どうして負けた我々に声を掛けるんですか?レッドウォーリヤーズさんの方
がいいんじゃないですか?」と言ってみた。
『いや~ おたくらの方が紳士的だったから。ラフプレーは困るんだ。ウチは
年寄りが多いから怪我がこわいのでね』
「まったく、葛西さん言い方うまいんだから。本当は勝ちたいんでしょう」
目上の方なのに、彼の笑顔に誘われてなれなれしく話していた。
『秋にグランドが取れたら、良かったらどうかね?』
「是非お願いします」
『分かった、ところでおたくのチーム名は?』
「名西ハリマオと申します。よろしくお願いします」
半信半疑でいたら、秋に試合の申し込みの電話がかかってきた。もちろん即答で
「OK」した。グランドは大垣でいささか遠かったが芝のグランドとのことだった。
連絡をもらった後の練習は、試合を想定した練習に変わりサインプレーなども考
えるようになり大いに励みになった。
【第1回岐阜惑々クラブ戦】
日 程:平成8年12月8日(日)
場 所:(大垣)浅中公園グランド
Kick Off:14:00
〔プレーヤー〕
PR:澤田康則・植竹康人・大原雅彦
HO:山本隆志
LO:林周治・太田肇
FL:堀江昭伸・大橋英隆
NO8:廣瀬恵紀
SH:小島徳康
SO:堀井貞克
CTB:久松市吾・植竹芳裕・中島靖浩
WTB:川口久之・加藤武志・道家浩之
FB:佐々木英典
〔マネージャー〕
中嶋桂子
この日の出来事はその後のハリマオの『道しるべ』になった日でもあった。
「いいグランドじゃん」 浅中公園グランドは名前のわりには立派であり、
更衣室も整備されたタータントラックのグランドで芝も良かった。
まずは、葛西さんに挨拶に行く。すると『ウチは60才以上(赤パン)が二人
入るからタックルはほどほどに』とのこと。
「え~ 60才以上の方が出られるんですか?」
『お~ 出るってきかないからよ~ ま~並のじいさんとは違うけどな』
『5分か10分ぐらいで替わるけどな。50才以上(青パン)はいいからどんど
んタックル行ってくれ』
「は~い、分かりました…」
分かりましたとは言ったが、そんなじいさんたちと試合をしていいのか?と
思いながら、チームに戻り、葛西さんから聞いたことをそのまま伝えた。
みんなも驚く。
『え~ 怪我させたらどうするの?』
「分からない」
『骨が折れたら一生つながらないんじゃない?』
「分からない。とにかく赤パンにロータックルは入るな。ラフプレーはする
な」と話す。
キックオフの笛が鳴る。この時はいつもドキドキする。舞い上がったボール
を見ながら怪我をしない事、怪我をさせないことを祈る。そんなことを考え
ているからボールを落とすのだが。
最初のアタリで分かった。この人たちは、並のおじさんではない。
最初のラックで分かった。この人たちは違う。
最初のライン攻撃で分かった。この人たちはうまい。
相手のことを心配している場合ではなかった。葛西さんにしてやられた。ハ
リマオは受身一方だった。決して彼らが走り回っている訳ではない。ハリマ
オの方が走っていて、ポイントにはハリマオの方が集まっている。しかしそ
のポイントを小人数の岐惑にコントロールされ、オープンに回されトライを
奪われる。体の入れ方がうまい。球際の処理がうまい。全員がラグビーをよ
く知っている。若い時は相当やっていたと思われた。
同じパターンでやられるがハリマオには修正する力はなかった。トライを5本
くらい取られてしまった。
どうしてこんなおじさんたちにやられるのだろう?悔しくて、一生懸命走っ
た。ハリマオの反撃もあった。ハーフェーライン付近のスクラムから出たボー
ルにポイントを作り、こぼれたボールを久松市吾(久松)が相手にあたりなが
ら、絶妙のタイミングで堀井ちゃんにパス。堀井ちゃんが約50ヤードを走り
切りトライを奪った。ハリマオの記念すべきファースト・トライの瞬間であっ
た。うれしかった。グランドで吠えていた記憶がある。
50ヤードを走り切った堀井ちゃんもすごいが、倒れながらパスを出した久松が
よかった。あのトライは久松の物だと思っている。記録には残らないが、ぼく
たちの記憶から消えることはないだろう。
ノーサイドの笛が鳴った時、みんな崩れ落ちていた。始めての光景であった。
みんな力を出し尽くしていた。やっと立ちあがり挨拶をした。その後、エール
交換の『スリーチェアーズ』をされた。またも、やられた。かねがねやりたい
と思っていた『スリーチェアーズ』だが、まだ練習していなかったので、葛西
さんに挨拶に行った。
「ありがとうございました」
『いや~ たのしかったな』
「はい、ぼくたちも」
とは言ったが悔しかった。ハリマオをやりだして、始めて悔しいと思っていた。
それまでに出会ったチームより数段すばらしいチームだったので、このチーム
に勝ちたいと思っていた。
『何も無いが、交流会を準備してあるんで来て下さい』との事だ。
またまたやられた。
アフターファンクションが準備されていた。
本国イギリスの試合方式そのものだった。
・試合はホームアンドアウェー方式(ラグビー界ではワールドカップが始まる
までトーナメント方式はなかった)
・試合後のエール交換
・アフターファンクション(ノーサイドの精神、スピーチの仕方を覚える)
話は知っていたがちゃんとやっている人たちがいるのだと感心した。イギリス
のパブリックスクールでラグビーが珍重されている由縁である。
ここがサッカーとは訳が違う。ラグビーに能書きが多いのも大好きである。
これ以降のハリマオの試合は、出来る限りこの形にしている。
アフターファンクションは、一杯のビールと試合中のプレーの話しをつまみに
充分盛り上がった。さもずっと以前から友達であったように。これがラグビー
をする本来の姿に思えた。相手のことも気遣う『ゆとりのあるラグビー』をし
たかった。あんなにうまかった人たちも着替えたら、気さくなおじさんになっ
ていた。
話しを聞いたら、やはり彼らは物が違っていた。岐阜ラグビー協会の理事、
日体大OB等そうそうたるメンバーだった。プレーのこと、チームの運営方法な
ど教えを請うこともいっぱいあった。それよりも何よりも彼らの存在事態が励
みになった。自分たちはまだ老け込む年ではないと思い知らされた。彼らの笑
顔は青年そのままだった。
終わりの挨拶替わりに、みんなで肩を組んで『怪傑ハリマオ』を歌った。
とってもいい気持ちだった。
帰り支度をしながら、ハリマオのエンブレムをにぎり、誓った。
(今日お世話になったお礼は、いずれ『ハリマオの勝利』でお返しします。)
帰りの車の中、みんな口々に言っていた。
『何かすごい人たちでしたね。お手本になるチームでしたね』
この日の夕日は、ふだんより赤く大きく見えた。
第十話へ
第八話 【菅平合宿】
長野県菅平、言わずと知れたラグビー夏合宿のメッカである。80面以上のグラ
ンドが高原を埋め尽くすラガーにとっては一度は行ってみたい所ではあるが、
我々には縁のない場所とも思っていた。ところが、エンジャにゃ~ズが昨年行
ったというではないか。
木野曰く、
『もう林さん、ムチャクチャいい所ですよ。去年なんか早稲田レディースと試
合しちゃいましたからね。』
「レレレ…レディース」
『は~い、たまたま早稲田レディースが来ていて、試合申し込んだら出来ちゃ
いました。』
「試合って、タックルもありなの?」
『は~い、ありです。ぼくなんかスクラム組んじゃいましたもんね』
「それって、…なの?」
『は~い、あの時だけは、フロントローやっててよかったと思いました。今年
も行きますよ』
どこにいたのか金田が身を乗り出してきて、
『林さん、うちも行きましょう』
自分としては異論はないが小島の顔を見る。小島も顔がにやけている、異論な
さそうだ。
「ハリマオも行くぞ」
こうしてハリマオの菅平合宿が始まった。
日程についてはエンジャにゃ~ズにおまかせで、平成7年7月29、30日の一泊
二日で出かけた。大人数になるからということで観光バスを借り切って行く事
になった。川口久之(川口)の出番である。企画プロモートを彼が担当する。
名古屋駅6時30分集合であったが、肝心のバスが来ない。川口の手配が悪く、
東急バスは別の所で待っていたという。旅行会社勤務とは思えない段取りだが、
ハリマオらしいといえばハリマオらしいパターンだ。驚いたことにバスに乗り
込んだらバスガイドさんがいるではないか。菅平に行くだけなのにどうしてと
思っていたら、観光バスを頼むともれなく付いてくるそうだ。「なにか変なの」
と思っていたらこれがまた不愛想(不細工でもあった)。大原がからかったら
むくれていた。金田が『あの態度はない』と怒り出す。この連中といると変な
ところで気を使わなければいけなくなりガイドさんのご機嫌をとる羽目になった。
菅平はうわさどおりのところであり、廣瀬さんも現地合流で来てくれた。楽し
くなると思っていたら、肝心の早稲田レディースとはすれ違いで『今日帰った』
というではないか。これは大原の段取りの悪さ。ハリマオがブウブウ言っている。
本来なら「大原君も一生懸命やってくれているんだから文句を言うな」と言わなけ
ればいけないのだろうが、いっしょになって騒いでいた。
「何のため来たと思ってるんだ~ 俺は帰る~」
結局、『東芝エンジニアリング』という強そうなチームと試合を組むと言うで
はないか。
さっそく意見を出した。
「やめよ~」
『どうしてですか?林さん』 エンジャにゃ~ズが口を揃えて言う。
「強そうじゃん」 (東芝と入っているだけで尻込みをする。)
『いいじゃないですか』
「いたそうじゃん」
(ぼくは今の今まで早稲田レディースと試合をする気でいたんだぞ。あまりにギ
ャップが大きすぎるではないか。そんなに急に気持ちが切りかえられるか。)
『大丈夫ですよ。エンジャにゃ~ズといっしょですから』
「お前らやれ。俺はとなりのテニスのおねえちゃん見てる」
『だめですよ~ せっかく菅平まで来たんじゃないですか』
「でもいやだ。テニスのおねえちゃんの方がいい」
ダダをこねていたら廣瀬さんが
『林、やるぞ』
「はい、分かりました」
相手が用意してくれたグランドは土のグランドだった。走ると砂塵が舞って前が
見えないくらいだ。砂埃の中でスクラムを組むと息が出来ない。アタリがキツイ。
(なんでこんな事が好きなんだろう?いい年をしてなんで人のケツに顔を突っ込
んでいるんだろう?でも好きなんだよな。きっと答えが見つかった人はラグビー
をやめちゃうんだろうな)と思いながら走っていた。
結果は負けたが菅平で試合をしただけで満足だった。
試合の後の風呂は、汗を流すというより、頭の中、鼻の穴、耳の中、すり傷につ
いた砂を洗い流す感じだ。そんなのが15人も入るから、出る時には風呂は砂まる
けだった。こちらは、さっぱりした。
夕食まで時間があったので夕涼みがてら『美やざき』のグランドにおりた。風は
いっそうさわやかになっていた。湿度がないので名古屋とは全くちがう。小島が
何気なく言った。
『タマタマさらさら!』
どんな言葉を並べるより、一言で菅平をこんなに端的に表現した言葉は他にはな
いだろう。けだし名言、大好きな言葉である。
グランドでは、小島、金田、桂ちゃん、タケがテニスのまねごとを始めている。
もう動く元気はないので、芝のグランドの真ん中でひとり大の字になって寝転が
った。
鼻をつく芝のかほり、木陰から聞こえる鳥の声、済みきった青空を流れる白い雲、
ほほを撫ぜる高原の風、背中に伝わる大地のいぶき、すべてが心地よかった。
ラガーの聖地に抱かれ、満足感にあふれ、ひとり感慨にふけっていた。
ジャン=ピエール・リーヴ(元フランス代表キャプテン)の言葉に
『ラグビーは子供をいち早く大人にし、大人に永遠に子供の魂を抱かせてくれる』
とあるが、まさに実感していた。気持ちは青年に戻っていた。ハリマオと接する時
はいつも高校生にもどっていた。
影も形もなかったハリマオに同期が集まり、先輩・後輩がつどい、チームを組み、
ボールを買い、練習を重ね、試合をし、合宿に来ている。よくここまで来れたと
思っていた。子供の成長を観ているようであった。莫大な歳月を費やしたが、結し
て大変でも苦労でもなく、たのしくてたのしくてしょうがなかった夢にような10年
だった。「ラグビーを始めてよかった」と充実感とたのしかった思い出にまどろんで
いた。そして、心の片隅で「ラグビーに対する情熱だけでこれまできたが、騒ぎまく
った責任は果たせたのではないか」とも思い始めていた。41才、『夏の思い出』で
ある。
これ以後、菅平合宿はハリマオの恒例行事になっている。一泊二日の短い合宿では
あるが行けば思い出が増えている。
一回:まぼろしの早稲田レディース戦、東芝エンジニアリング戦
二回:霧の中の早朝ゴルフ、世田谷クラブ戦
三回:東大現役戦での勝利、スクラムトライ、一番危険なポジション:タッチジャッジ
四回:高校JAPAN、夜の散歩、美やざきのグランド使えずジプシー
五回:TシャツいっぱいのJAPANのサイン(詳しくは「クマさんの菅平日記」参照)
六回:エンジャにゃ~ズのしごき、慈恵医大戦
合宿で撮った写真はどれも笑顔でいっぱいだ。
第九話へ
ンドが高原を埋め尽くすラガーにとっては一度は行ってみたい所ではあるが、
我々には縁のない場所とも思っていた。ところが、エンジャにゃ~ズが昨年行
ったというではないか。
木野曰く、
『もう林さん、ムチャクチャいい所ですよ。去年なんか早稲田レディースと試
合しちゃいましたからね。』
「レレレ…レディース」
『は~い、たまたま早稲田レディースが来ていて、試合申し込んだら出来ちゃ
いました。』
「試合って、タックルもありなの?」
『は~い、ありです。ぼくなんかスクラム組んじゃいましたもんね』
「それって、…なの?」
『は~い、あの時だけは、フロントローやっててよかったと思いました。今年
も行きますよ』
どこにいたのか金田が身を乗り出してきて、
『林さん、うちも行きましょう』
自分としては異論はないが小島の顔を見る。小島も顔がにやけている、異論な
さそうだ。
「ハリマオも行くぞ」
こうしてハリマオの菅平合宿が始まった。
日程についてはエンジャにゃ~ズにおまかせで、平成7年7月29、30日の一泊
二日で出かけた。大人数になるからということで観光バスを借り切って行く事
になった。川口久之(川口)の出番である。企画プロモートを彼が担当する。
名古屋駅6時30分集合であったが、肝心のバスが来ない。川口の手配が悪く、
東急バスは別の所で待っていたという。旅行会社勤務とは思えない段取りだが、
ハリマオらしいといえばハリマオらしいパターンだ。驚いたことにバスに乗り
込んだらバスガイドさんがいるではないか。菅平に行くだけなのにどうしてと
思っていたら、観光バスを頼むともれなく付いてくるそうだ。「なにか変なの」
と思っていたらこれがまた不愛想(不細工でもあった)。大原がからかったら
むくれていた。金田が『あの態度はない』と怒り出す。この連中といると変な
ところで気を使わなければいけなくなりガイドさんのご機嫌をとる羽目になった。
菅平はうわさどおりのところであり、廣瀬さんも現地合流で来てくれた。楽し
くなると思っていたら、肝心の早稲田レディースとはすれ違いで『今日帰った』
というではないか。これは大原の段取りの悪さ。ハリマオがブウブウ言っている。
本来なら「大原君も一生懸命やってくれているんだから文句を言うな」と言わなけ
ればいけないのだろうが、いっしょになって騒いでいた。
「何のため来たと思ってるんだ~ 俺は帰る~」
結局、『東芝エンジニアリング』という強そうなチームと試合を組むと言うで
はないか。
さっそく意見を出した。
「やめよ~」
『どうしてですか?林さん』 エンジャにゃ~ズが口を揃えて言う。
「強そうじゃん」 (東芝と入っているだけで尻込みをする。)
『いいじゃないですか』
「いたそうじゃん」
(ぼくは今の今まで早稲田レディースと試合をする気でいたんだぞ。あまりにギ
ャップが大きすぎるではないか。そんなに急に気持ちが切りかえられるか。)
『大丈夫ですよ。エンジャにゃ~ズといっしょですから』
「お前らやれ。俺はとなりのテニスのおねえちゃん見てる」
『だめですよ~ せっかく菅平まで来たんじゃないですか』
「でもいやだ。テニスのおねえちゃんの方がいい」
ダダをこねていたら廣瀬さんが
『林、やるぞ』
「はい、分かりました」
相手が用意してくれたグランドは土のグランドだった。走ると砂塵が舞って前が
見えないくらいだ。砂埃の中でスクラムを組むと息が出来ない。アタリがキツイ。
(なんでこんな事が好きなんだろう?いい年をしてなんで人のケツに顔を突っ込
んでいるんだろう?でも好きなんだよな。きっと答えが見つかった人はラグビー
をやめちゃうんだろうな)と思いながら走っていた。
結果は負けたが菅平で試合をしただけで満足だった。
試合の後の風呂は、汗を流すというより、頭の中、鼻の穴、耳の中、すり傷につ
いた砂を洗い流す感じだ。そんなのが15人も入るから、出る時には風呂は砂まる
けだった。こちらは、さっぱりした。
夕食まで時間があったので夕涼みがてら『美やざき』のグランドにおりた。風は
いっそうさわやかになっていた。湿度がないので名古屋とは全くちがう。小島が
何気なく言った。
『タマタマさらさら!』
どんな言葉を並べるより、一言で菅平をこんなに端的に表現した言葉は他にはな
いだろう。けだし名言、大好きな言葉である。
グランドでは、小島、金田、桂ちゃん、タケがテニスのまねごとを始めている。
もう動く元気はないので、芝のグランドの真ん中でひとり大の字になって寝転が
った。
鼻をつく芝のかほり、木陰から聞こえる鳥の声、済みきった青空を流れる白い雲、
ほほを撫ぜる高原の風、背中に伝わる大地のいぶき、すべてが心地よかった。
ラガーの聖地に抱かれ、満足感にあふれ、ひとり感慨にふけっていた。
ジャン=ピエール・リーヴ(元フランス代表キャプテン)の言葉に
『ラグビーは子供をいち早く大人にし、大人に永遠に子供の魂を抱かせてくれる』
とあるが、まさに実感していた。気持ちは青年に戻っていた。ハリマオと接する時
はいつも高校生にもどっていた。
影も形もなかったハリマオに同期が集まり、先輩・後輩がつどい、チームを組み、
ボールを買い、練習を重ね、試合をし、合宿に来ている。よくここまで来れたと
思っていた。子供の成長を観ているようであった。莫大な歳月を費やしたが、結し
て大変でも苦労でもなく、たのしくてたのしくてしょうがなかった夢にような10年
だった。「ラグビーを始めてよかった」と充実感とたのしかった思い出にまどろんで
いた。そして、心の片隅で「ラグビーに対する情熱だけでこれまできたが、騒ぎまく
った責任は果たせたのではないか」とも思い始めていた。41才、『夏の思い出』で
ある。
これ以後、菅平合宿はハリマオの恒例行事になっている。一泊二日の短い合宿では
あるが行けば思い出が増えている。
一回:まぼろしの早稲田レディース戦、東芝エンジニアリング戦
二回:霧の中の早朝ゴルフ、世田谷クラブ戦
三回:東大現役戦での勝利、スクラムトライ、一番危険なポジション:タッチジャッジ
四回:高校JAPAN、夜の散歩、美やざきのグランド使えずジプシー
五回:TシャツいっぱいのJAPANのサイン(詳しくは「クマさんの菅平日記」参照)
六回:エンジャにゃ~ズのしごき、慈恵医大戦
合宿で撮った写真はどれも笑顔でいっぱいだ。
第九話へ
第七話 【庄内川河川敷】
チューさんが倒れた後、無断借用で一度だけ消防学校で練習をしたが、主人が
居ないのにもう使用するわけにはいかない。練習場所がなくなった。
在る日突然、木野 泰久(木野)から電話がかかってきた。彼は名西ラグビー
部の出身で『エンジャにゃ~ズ』という名前の名西ラグビー部のOBチームを
10年以上続けていると言う。
そんなチームがあるのも知らなかったし、その前にどうして我が家の電話番号
が分かったか不思議だった。たずねるとスミタのばあさんから、『名西出身の
名西ハリマオという14着のジャージを作った変な人たちがいるよ』と聞いたと
の事だった。
エンジャにゃ~ズの中で話題になったが、そんな変な奴、誰も知らない『モグ
リじゃない?』ということで電話がかかってきた。なにはともあれ会う事にな
った。
小牧メナード美術館前で待ち合わせた。夕暮れの中、彼は待っていた。シルエ
ットだけでその人だと分かった。ずんぐりむっくり、首がない。ラガー体型そ
のものだった。小島と3人で『つぼ八』で飲んだ。
彼らは、『自分たちに無断で名西を名乗るのは不届きだ。ラグビーをやりたい
のなら自分たちのチームに入れ』との意向だったらしい。だが我々と会って驚
いていた。
自分たちより先輩だったからである。彼らには、『不惑』近くなってラグビー
を始める人々がいる感覚がなかったようだ。
話しを聞いて言った。
「生意気こくな。おまえたちがハリマオに入れ」 先輩の強みである。
『それだけは勘弁して下さい』とのことだったので許してやり、チームは別々
だが練習は、いっしょにすることになった。彼らは白川公園で練習していると
の事だった。練習場所がなくなっていた我々にとっても好都合だった。話して
いるとナイスガイ(木野の表現)であり、ラグビーに対して熱い。まるで自分
の姿を見ているようでいやだった。どうして『エンジャにゃ~ズ』なんて変な
名前にしたのかたずねると、名前が中々決まらなくて候補が出ると『えんじゃ
にゃ~、えんじゃにゃ~』と言っていて決まったと言う。
まったく、下らない。我がチーム名も『インキーズ』にしなくてよかったと思
った。人に名前の由来を話せないところだった。
白川公園で練習を再開した。エンジャにゃ~ズといっしょだ。彼らは平均年齢
30才くらいのチームだった。ランパス1本走っただけで分かった。早い、疲れ
を知らない、しなやかである。全力で走るが追いつけない。あのデブの大原雅
彦(大原)に小牧小学校で二番目に早かったこの僕が追いつけない。若さに嫉
妬する。
とはいえ大人数での練習はたのしい。3回ほどラグビーらしい練習をしたが、
白川公園が改修工事に入るとのことで使えなくなった。またもジプシー生活だ。
グランドを探していたら小島が『庄内川河川敷にラグビーポールが立っている』
と言う。おまけに、いつ通っても使っていないとのことで帰りにいっしょに見
に行った。確かにポールは立っているし、だれもいない。「ここに決定」
さっそく、河川敷のグランドで練習予定を流す。これまでもそうだったがまっ
たく行き当たりばったりのチームである。また、それでうまくいくから不思議
である。
練習日、小島と庄内川河川敷に行く。ななな な~んと少年サッカーチームが
練習をしているではないか。
「みんな来ちゃうけどどうしよう」
『とにかく行こ』
「んだ」
ラグビーボール2つ抱えてグランドに下りていく。
サッカーチームのコーチらしき人が我々を見つけて駆け寄ってくる。
『ラグビーの方ですか?』
「そうですけど」
『すみません、うちのグランドが使えなくなっちゃったんで急遽ここに来たん
ですが隅の方を使わせていただけませんか?』
「ええ、うちは今日、練習ですから半分使っていいですよ」
『ありがとうございます、じゃまにならないようにします』
「はい、困った時はお互い様ですから」
ハッハッハ むこうもモグリだった。
なにも知らないメンバーが、だらだらと集まってくる。
『なかなかいいグランドじゃないですか』
まったくお気楽な奴らだ。
ボールに空気を入れようとしたら空気入れを忘れてた。サッカーチームに借り
に行く。
困った時はお互い様だ。
この時以来、庄内川河川敷は我がチームのホームグランドになり、エンジャに
ゃ~ズも合流して使っている。小石もあって、あまりいいグランドとは言えな
いが我々はもう6年このグランドを走っている。そしてこのグランドにどれだ
け集まったかがハリマオの証しだと思っている。ここでどれだけ走り、どれだ
け汗を流し、どれだけラグビーを考え、どれだけ話し合い、どれだけボールを
蹴り、どれだけタックルをし、どれだけ擦り傷を作ったかが仲間の証しである。
試合は、ここでの成果を示すただの発表会と考えている。
《庄内川河川敷に集まってくる各チームに告ぐ》
「このグランドはハリマオのホームグランドだぞ。 じゃまするな。
最初に無断借用したのは俺たちなんだぞ!!」
第八話へ
居ないのにもう使用するわけにはいかない。練習場所がなくなった。
在る日突然、木野 泰久(木野)から電話がかかってきた。彼は名西ラグビー
部の出身で『エンジャにゃ~ズ』という名前の名西ラグビー部のOBチームを
10年以上続けていると言う。
そんなチームがあるのも知らなかったし、その前にどうして我が家の電話番号
が分かったか不思議だった。たずねるとスミタのばあさんから、『名西出身の
名西ハリマオという14着のジャージを作った変な人たちがいるよ』と聞いたと
の事だった。
エンジャにゃ~ズの中で話題になったが、そんな変な奴、誰も知らない『モグ
リじゃない?』ということで電話がかかってきた。なにはともあれ会う事にな
った。
小牧メナード美術館前で待ち合わせた。夕暮れの中、彼は待っていた。シルエ
ットだけでその人だと分かった。ずんぐりむっくり、首がない。ラガー体型そ
のものだった。小島と3人で『つぼ八』で飲んだ。
彼らは、『自分たちに無断で名西を名乗るのは不届きだ。ラグビーをやりたい
のなら自分たちのチームに入れ』との意向だったらしい。だが我々と会って驚
いていた。
自分たちより先輩だったからである。彼らには、『不惑』近くなってラグビー
を始める人々がいる感覚がなかったようだ。
話しを聞いて言った。
「生意気こくな。おまえたちがハリマオに入れ」 先輩の強みである。
『それだけは勘弁して下さい』とのことだったので許してやり、チームは別々
だが練習は、いっしょにすることになった。彼らは白川公園で練習していると
の事だった。練習場所がなくなっていた我々にとっても好都合だった。話して
いるとナイスガイ(木野の表現)であり、ラグビーに対して熱い。まるで自分
の姿を見ているようでいやだった。どうして『エンジャにゃ~ズ』なんて変な
名前にしたのかたずねると、名前が中々決まらなくて候補が出ると『えんじゃ
にゃ~、えんじゃにゃ~』と言っていて決まったと言う。
まったく、下らない。我がチーム名も『インキーズ』にしなくてよかったと思
った。人に名前の由来を話せないところだった。
白川公園で練習を再開した。エンジャにゃ~ズといっしょだ。彼らは平均年齢
30才くらいのチームだった。ランパス1本走っただけで分かった。早い、疲れ
を知らない、しなやかである。全力で走るが追いつけない。あのデブの大原雅
彦(大原)に小牧小学校で二番目に早かったこの僕が追いつけない。若さに嫉
妬する。
とはいえ大人数での練習はたのしい。3回ほどラグビーらしい練習をしたが、
白川公園が改修工事に入るとのことで使えなくなった。またもジプシー生活だ。
グランドを探していたら小島が『庄内川河川敷にラグビーポールが立っている』
と言う。おまけに、いつ通っても使っていないとのことで帰りにいっしょに見
に行った。確かにポールは立っているし、だれもいない。「ここに決定」
さっそく、河川敷のグランドで練習予定を流す。これまでもそうだったがまっ
たく行き当たりばったりのチームである。また、それでうまくいくから不思議
である。
練習日、小島と庄内川河川敷に行く。ななな な~んと少年サッカーチームが
練習をしているではないか。
「みんな来ちゃうけどどうしよう」
『とにかく行こ』
「んだ」
ラグビーボール2つ抱えてグランドに下りていく。
サッカーチームのコーチらしき人が我々を見つけて駆け寄ってくる。
『ラグビーの方ですか?』
「そうですけど」
『すみません、うちのグランドが使えなくなっちゃったんで急遽ここに来たん
ですが隅の方を使わせていただけませんか?』
「ええ、うちは今日、練習ですから半分使っていいですよ」
『ありがとうございます、じゃまにならないようにします』
「はい、困った時はお互い様ですから」
ハッハッハ むこうもモグリだった。
なにも知らないメンバーが、だらだらと集まってくる。
『なかなかいいグランドじゃないですか』
まったくお気楽な奴らだ。
ボールに空気を入れようとしたら空気入れを忘れてた。サッカーチームに借り
に行く。
困った時はお互い様だ。
この時以来、庄内川河川敷は我がチームのホームグランドになり、エンジャに
ゃ~ズも合流して使っている。小石もあって、あまりいいグランドとは言えな
いが我々はもう6年このグランドを走っている。そしてこのグランドにどれだ
け集まったかがハリマオの証しだと思っている。ここでどれだけ走り、どれだ
け汗を流し、どれだけラグビーを考え、どれだけ話し合い、どれだけボールを
蹴り、どれだけタックルをし、どれだけ擦り傷を作ったかが仲間の証しである。
試合は、ここでの成果を示すただの発表会と考えている。
《庄内川河川敷に集まってくる各チームに告ぐ》
「このグランドはハリマオのホームグランドだぞ。 じゃまするな。
最初に無断借用したのは俺たちなんだぞ!!」
第八話へ
第六話 【ポジション:マネージャー】
平成7年1月2日、新年会で新たな目標を掲げた。例によってまた夢物語を
語っていた。
・ハリマオの選手を30人体制にし、ひとり2ポジションをこなす。
・一勝する。
・女子マネージャーを入れる。
高校時代、女子マネージャーは他の部にはあまりいなかったがラグビー部に
はいた。
同期には、(怖かった)大野さん、(ほのぼのとした)日比野さん、(やさ
しい)八巻さんの3人が所属していた。三者三様で中々いいトリオだった。
他校に試合に出かけた時は、何となく鼻が高かった。
気持ちの中ではハリマオは高校時代の再現を目指していたので、当然、女子
マネージャーが欲しかった。
同窓会の折に大至急、彼女たちに声をかけた。名西ラグビー部の事はとって
も懐かしがってくれたが、『今更、マネージャーもないでしょう』との事
だった。当然の反応かもしれない。彼女たちの中では、ラグビーは『いい思
い出』になっていた。
これで諦めないのが当時の僕であった。自分の中では、ラグビーを思い出に
出来なくて、狂ったように燃えていた時期であった。
色々と人選に思いを巡らせた。こちらからお願いするにだから変な人に声を
かけたくなかった。変な人に声をかけて断られたらムチャクチャ腹が立ちそ
うだからである。
そしてたどり着いたのが、中嶋桂子(桂ちゃん)であった。
彼女のことは幼いころから知っているがとても『いい奴』である。
『いい奴』と言うと本人は怒るがもっとも適した表現だと思っている。人柄、
性格、協調性、スポーツ好きと我々にとってはもってこいの人材であった。
彼女に決めた。
当直の夜、誰もいない事務所でひとりで考えていた。
我々にとってはもってこいであるが、肝心なことの答えが見つけられないで
いた。彼女にとってマネージャーをする『意義』がないのである。ず~と考
えたが見つからない。
平成7年1月23日当直の夜、答えを見つけられないまま、彼女に電話をした。
これから訳の分からない話しをするかと思うとドキドキした。電話のコール
している時間が長く感じられ、もう少し考えをまとめてからにしようかと思
い、切ろうとしたら出てしまった。
「あの~、林ですけど…」
突然の電話にびっくりしているようだ。唐突に切り出していた。
「いっしょにラグビーやらない?」
我ながら、もう少し言い方がないのか思った。血が逆流した。次ぎに何と言
えばいいのだ?
『え~~~~』
突然の電話の唐突な話しに彼女は言葉を失っている。状況がつかめないよう
だ。
もっともだ、ムチャを言っているのは分かっている。返事がない。
何かしゃべってくれ~。沈黙が重い。我々とは違い、名西への思い入れもな
いだろうし、スポーツが好きでもラグビーが好きかどうか分からないし、メ
ンバーも小島しか知らないし、おじさんばっかりで女性はいないし…
しかし、この沈黙の間に、あれほど考えても見つからなかった答えが見つか
った。
(彼女もハリマオになればいいんだ。
ハリマオのマネージャーじゃなくって、彼女自身がハリマオになればいい
のだ。ポジションが、マネージャーなのだ。)
そう思った瞬間から、雄弁になった。ラグビーのすばらしさ、ハリマオの生
い立ち、メンバーのエピソード、桂ちゃんが向いていること等々、語りまく
った。
そして彼女が言った。
『他にどなたかいらっしゃらないんですか?』
「いない」
『わたしなんかでいいんですか?』
「いい。いいから電話しているの」
『わたし、みなさんを知らないし~』
「メンバーはぼくが保証する。武骨ではあるけれどいい奴ばっかりだよ。変
な奴はチームに入れないもん。肩身の狭い思いはさせないよ」
電話の向こうでは断る理由を探しているようだった。
『わたしが入って何かあるんですか?』
「ぼくたちは楽しくなる」
『わたしは?』
「15人のすばらしい仲間が出来る」
まだ何か断る理由を探している。釈然としないのだろう。
『わたしマネージャーやったことないですよ』
「ぼくもない」
『何か変だと思いませんか?』
「ぜんぜん。」
『だって~だって~』
「だってじゃないの」
意味不明の会話が続いた。
『ん~、行く時はどうやって行くんですか?』
「迎えに行きます」
『どうして、わたしなの?』
「きみだから誘ってるの」
しばし禅問答のような会話が続き、ようやく
『じゃ~、やるやらないは別にして、今度の練習見に行こうかな』
「やった~」
こうして、初の女性ハリマオが誕生した。
第七話へ
語っていた。
・ハリマオの選手を30人体制にし、ひとり2ポジションをこなす。
・一勝する。
・女子マネージャーを入れる。
高校時代、女子マネージャーは他の部にはあまりいなかったがラグビー部に
はいた。
同期には、(怖かった)大野さん、(ほのぼのとした)日比野さん、(やさ
しい)八巻さんの3人が所属していた。三者三様で中々いいトリオだった。
他校に試合に出かけた時は、何となく鼻が高かった。
気持ちの中ではハリマオは高校時代の再現を目指していたので、当然、女子
マネージャーが欲しかった。
同窓会の折に大至急、彼女たちに声をかけた。名西ラグビー部の事はとって
も懐かしがってくれたが、『今更、マネージャーもないでしょう』との事
だった。当然の反応かもしれない。彼女たちの中では、ラグビーは『いい思
い出』になっていた。
これで諦めないのが当時の僕であった。自分の中では、ラグビーを思い出に
出来なくて、狂ったように燃えていた時期であった。
色々と人選に思いを巡らせた。こちらからお願いするにだから変な人に声を
かけたくなかった。変な人に声をかけて断られたらムチャクチャ腹が立ちそ
うだからである。
そしてたどり着いたのが、中嶋桂子(桂ちゃん)であった。
彼女のことは幼いころから知っているがとても『いい奴』である。
『いい奴』と言うと本人は怒るがもっとも適した表現だと思っている。人柄、
性格、協調性、スポーツ好きと我々にとってはもってこいの人材であった。
彼女に決めた。
当直の夜、誰もいない事務所でひとりで考えていた。
我々にとってはもってこいであるが、肝心なことの答えが見つけられないで
いた。彼女にとってマネージャーをする『意義』がないのである。ず~と考
えたが見つからない。
平成7年1月23日当直の夜、答えを見つけられないまま、彼女に電話をした。
これから訳の分からない話しをするかと思うとドキドキした。電話のコール
している時間が長く感じられ、もう少し考えをまとめてからにしようかと思
い、切ろうとしたら出てしまった。
「あの~、林ですけど…」
突然の電話にびっくりしているようだ。唐突に切り出していた。
「いっしょにラグビーやらない?」
我ながら、もう少し言い方がないのか思った。血が逆流した。次ぎに何と言
えばいいのだ?
『え~~~~』
突然の電話の唐突な話しに彼女は言葉を失っている。状況がつかめないよう
だ。
もっともだ、ムチャを言っているのは分かっている。返事がない。
何かしゃべってくれ~。沈黙が重い。我々とは違い、名西への思い入れもな
いだろうし、スポーツが好きでもラグビーが好きかどうか分からないし、メ
ンバーも小島しか知らないし、おじさんばっかりで女性はいないし…
しかし、この沈黙の間に、あれほど考えても見つからなかった答えが見つか
った。
(彼女もハリマオになればいいんだ。
ハリマオのマネージャーじゃなくって、彼女自身がハリマオになればいい
のだ。ポジションが、マネージャーなのだ。)
そう思った瞬間から、雄弁になった。ラグビーのすばらしさ、ハリマオの生
い立ち、メンバーのエピソード、桂ちゃんが向いていること等々、語りまく
った。
そして彼女が言った。
『他にどなたかいらっしゃらないんですか?』
「いない」
『わたしなんかでいいんですか?』
「いい。いいから電話しているの」
『わたし、みなさんを知らないし~』
「メンバーはぼくが保証する。武骨ではあるけれどいい奴ばっかりだよ。変
な奴はチームに入れないもん。肩身の狭い思いはさせないよ」
電話の向こうでは断る理由を探しているようだった。
『わたしが入って何かあるんですか?』
「ぼくたちは楽しくなる」
『わたしは?』
「15人のすばらしい仲間が出来る」
まだ何か断る理由を探している。釈然としないのだろう。
『わたしマネージャーやったことないですよ』
「ぼくもない」
『何か変だと思いませんか?』
「ぜんぜん。」
『だって~だって~』
「だってじゃないの」
意味不明の会話が続いた。
『ん~、行く時はどうやって行くんですか?』
「迎えに行きます」
『どうして、わたしなの?』
「きみだから誘ってるの」
しばし禅問答のような会話が続き、ようやく
『じゃ~、やるやらないは別にして、今度の練習見に行こうかな』
「やった~」
こうして、初の女性ハリマオが誕生した。
第七話へ
第四話 【14着のジャージ】
居酒屋HILTONから3ヶ月後の在る日、突然チューさんから電話がかかってきた。
『名西ハリマオ』はどうなっているかという問い合わせだった。どうにもなって
いなかったし、僕に電話をしないでと思っていたが、チューさんは居酒屋HILTON
の時と同じテンションだった。
「誰が流すんですか?」
『おまえやれ!』
まったく強引である。でも彼みたいな人がいないと前には進まないとも思えた。
しかし本当にこの年でラグビーなんかやりだしてのいいのだろうか?出来るの
か?と思ってもいた。
まだ会社の同好会ならいざ知らず、まったくのプライベートチームである。
血液センターの同僚、親、友達、みんな『やめとけ。いい年からげて骨でも折
ったらどうするの?』と言われた。
あまりに、もっともで反論出来ない。
自分はさて置いても、みんなは会社でそこそこ責任のある立場になってきてい
る。名刺の肩書きにも係長、課長と書いてあった。民間企業で1ヶ月も入院した
ら席は無くなっているかもしれない。自営業は仕事が無くなるかもしれない。
人生を狂わすかもしれないことにみんなを引きずり込んでもいいのだろうか?
そんな権利はだれにもないだろう。みんな本当にやるのだろうか?色々考えると
結論は「NO」である。迷っていた。
かみさんに話した。
『やれば~ やりたいんでしょ?』
そうなんだ。ぼくはやりたいんだ。
「でも、怪我するかもしれないよ」
『周ちゃん、わたしがやりたいって言ったら止める?』
止めないだろう。やめて悔いを残して欲しくないからだ。たった一度の人生では
ないか。
この時、自分なりの方針と足かせを決めた。
自分はやりたいからやる。
・怪我をして入院をしたらやめる。
・みんなに連絡はするが強要はしない。
・ハリマオであることとプレーをすることは別である。
・プレーをするたのしさを伝える。
平成6年5月15日10時、消防学校のグランド(守山区)に集まった。実質的に
名西ハリマオが動き出した。集まったのは7~8人だったと思う。高校時代といっ
しょにランパスから始まった。
走れない・・・
速い遅い以前の問題で、走り方を忘れている。考えてみればもう10年以上全力疾
走をしたことがない。走っているだけで足がもつれる。転ぶ。みんなそうだ。
パスはポロポロ落とす。蹴っても飛ばない。
重傷である。息もあがる。5分やって10分休憩する。ラグビーなんてとんでもない。
自分の置かれている現事に直面する。
ただ、練習の後のビールはうまい。長谷川商店のチェリオの味がした。
月1回のペースでやっていたが毎回参加者が減ってきた。このままでは尻すぼみ
になっていくのは目に見えていた。なにか対策が必要だった。小島と話し合い、
みんなをつなぎ止めるために目に見えるたのしみとして、ジャージを作ることに
した。ジャージを買えば来てくれるのではないかという思いであった。
「ハリマオは形から入る」と今でも言っているが、この時考えた苦肉の策だ。
柄は、カタログに載っていた『ALL BLACKS創立100年祭』のために組まれた世界
選抜のティム・フォランの写真を見て決めた。いささか派手であったが自分には
似合う(?)と思えた。

早速注文取りをしたが希望者は14人しかいなかったが仕方が無い。スミタに出か
けた。
「14着お願いします」
スミタのおばあちゃんが
『え、14でいいの? 15じゃなくていいの?』
「はい、14着です。」
『ま~、変わってるねぇ』
「はい、変わってるんです」
廣瀬さんから電話が入った。詳しくは分からないが、チューさんが倒れて救急車
で病院に運ばれ、オペをしたとの連絡だった。日曜日、小島と掖済会病院へお見
舞いに行った。奥様の話しでは週末にラクビーの練習があるからということで夜
走っていて、頭が痛くなり病院に運ばれたとのことだった。
病名は「くも膜下出血」で、出血をクリッピングしてバイパスを通したとのこと。
大変なことになっていた。下手をすれば命にも関わることだ。
ご家族に顔が合わせられない。気が重くなる。ドーしよう。ハリマオも終わりだ。
ご本人は思ったより元気だった。暗い顔をしている小島と僕に気を使ってくれる。
『ちょっとラクビーはお休みだな』
ますます気が重くなる。絶えられない。
お見舞いに持っていったハリマオのジャージを出そうか迷っていたが、ああ言っ
てくれるのだからと思い、お見せする。『いいな』と言ってもらえた。ジャージ
をプレゼントする。
病室を出てきたら、涙が出てきた。
(なぜ~)
(どうしてこうなるんだ)
(彼がなにか悪いことをしたのか~)
帰りの車の中、小島もしゃべらない。息苦しい。沈黙の時が流れる。ぼんやりし
ていた。車窓の景色だけが無言で流れて行く。
小島がつぶやいた。
『ハリマオ続けよ』
一本の光の矢が暗闇を射った思いだった。
「そうだよな~ やめたってチューさんよろこばないよな~」
また決意をしてしまった。
(チューさん、早く良くなって下さい。いつでも戻ってこられるようにハリマオ
は続けます。チューさんはこれからもずーとずーとハリマオなんですから。)
第五話へ
『名西ハリマオ』はどうなっているかという問い合わせだった。どうにもなって
いなかったし、僕に電話をしないでと思っていたが、チューさんは居酒屋HILTON
の時と同じテンションだった。
「誰が流すんですか?」
『おまえやれ!』
まったく強引である。でも彼みたいな人がいないと前には進まないとも思えた。
しかし本当にこの年でラグビーなんかやりだしてのいいのだろうか?出来るの
か?と思ってもいた。
まだ会社の同好会ならいざ知らず、まったくのプライベートチームである。
血液センターの同僚、親、友達、みんな『やめとけ。いい年からげて骨でも折
ったらどうするの?』と言われた。
あまりに、もっともで反論出来ない。
自分はさて置いても、みんなは会社でそこそこ責任のある立場になってきてい
る。名刺の肩書きにも係長、課長と書いてあった。民間企業で1ヶ月も入院した
ら席は無くなっているかもしれない。自営業は仕事が無くなるかもしれない。
人生を狂わすかもしれないことにみんなを引きずり込んでもいいのだろうか?
そんな権利はだれにもないだろう。みんな本当にやるのだろうか?色々考えると
結論は「NO」である。迷っていた。
かみさんに話した。
『やれば~ やりたいんでしょ?』
そうなんだ。ぼくはやりたいんだ。
「でも、怪我するかもしれないよ」
『周ちゃん、わたしがやりたいって言ったら止める?』
止めないだろう。やめて悔いを残して欲しくないからだ。たった一度の人生では
ないか。
この時、自分なりの方針と足かせを決めた。
自分はやりたいからやる。
・怪我をして入院をしたらやめる。
・みんなに連絡はするが強要はしない。
・ハリマオであることとプレーをすることは別である。
・プレーをするたのしさを伝える。
平成6年5月15日10時、消防学校のグランド(守山区)に集まった。実質的に
名西ハリマオが動き出した。集まったのは7~8人だったと思う。高校時代といっ
しょにランパスから始まった。
走れない・・・
速い遅い以前の問題で、走り方を忘れている。考えてみればもう10年以上全力疾
走をしたことがない。走っているだけで足がもつれる。転ぶ。みんなそうだ。
パスはポロポロ落とす。蹴っても飛ばない。
重傷である。息もあがる。5分やって10分休憩する。ラグビーなんてとんでもない。
自分の置かれている現事に直面する。
ただ、練習の後のビールはうまい。長谷川商店のチェリオの味がした。
月1回のペースでやっていたが毎回参加者が減ってきた。このままでは尻すぼみ
になっていくのは目に見えていた。なにか対策が必要だった。小島と話し合い、
みんなをつなぎ止めるために目に見えるたのしみとして、ジャージを作ることに
した。ジャージを買えば来てくれるのではないかという思いであった。
「ハリマオは形から入る」と今でも言っているが、この時考えた苦肉の策だ。
柄は、カタログに載っていた『ALL BLACKS創立100年祭』のために組まれた世界
選抜のティム・フォランの写真を見て決めた。いささか派手であったが自分には
似合う(?)と思えた。

早速注文取りをしたが希望者は14人しかいなかったが仕方が無い。スミタに出か
けた。
「14着お願いします」
スミタのおばあちゃんが
『え、14でいいの? 15じゃなくていいの?』
「はい、14着です。」
『ま~、変わってるねぇ』
「はい、変わってるんです」
廣瀬さんから電話が入った。詳しくは分からないが、チューさんが倒れて救急車
で病院に運ばれ、オペをしたとの連絡だった。日曜日、小島と掖済会病院へお見
舞いに行った。奥様の話しでは週末にラクビーの練習があるからということで夜
走っていて、頭が痛くなり病院に運ばれたとのことだった。
病名は「くも膜下出血」で、出血をクリッピングしてバイパスを通したとのこと。
大変なことになっていた。下手をすれば命にも関わることだ。
ご家族に顔が合わせられない。気が重くなる。ドーしよう。ハリマオも終わりだ。
ご本人は思ったより元気だった。暗い顔をしている小島と僕に気を使ってくれる。
『ちょっとラクビーはお休みだな』
ますます気が重くなる。絶えられない。
お見舞いに持っていったハリマオのジャージを出そうか迷っていたが、ああ言っ
てくれるのだからと思い、お見せする。『いいな』と言ってもらえた。ジャージ
をプレゼントする。
病室を出てきたら、涙が出てきた。
(なぜ~)
(どうしてこうなるんだ)
(彼がなにか悪いことをしたのか~)
帰りの車の中、小島もしゃべらない。息苦しい。沈黙の時が流れる。ぼんやりし
ていた。車窓の景色だけが無言で流れて行く。
小島がつぶやいた。
『ハリマオ続けよ』
一本の光の矢が暗闇を射った思いだった。
「そうだよな~ やめたってチューさんよろこばないよな~」
また決意をしてしまった。
(チューさん、早く良くなって下さい。いつでも戻ってこられるようにハリマオ
は続けます。チューさんはこれからもずーとずーとハリマオなんですから。)
第五話へ
第三話 【名古屋 HILTON HOTEL 1622号室】
飲んだ時の勢いはいいが、現実に戻るとそうはいかない。
練習場所が無い。ボールすら無い。スミタまで行くのはめんどうだ。連絡は誰がする
のだ。チームを組むには15人いるが頭数が足りない。
また暗礁に乗り上げる。
ただラグビー仲間と飲むのは、たのしいことはよく分かったので、人数確保もかねて
当直の夜の作業は続けていた。ひとつ上の廣瀬さんの代、ひとつ下の金田隆男(キン
タ)の代と自分が高校時代に一緒にプレーをした人々を探し続けていた。彼らともう
一度ラグビーボールを追ってみたいと考えていた。
更に1年の歳月を費やし、合計30名の仲間にたどり着いた。電話をかけ続ける中、
2名の死亡も確認してしまった。
絶句である。予想もしていなかった出来事に言葉がつまる。
ご家族に、電話をかけさせていただいた主旨をお話しする。
『それはいい事ですね。生きていたら、よろこんで参加させていただいたと思いま
すが……残念です。がんばって下さい。応援しています』
誰もいない血液センターの事務室で茫然自失となっていた。
一年上のキャプテンの廣瀬さんを見つけたのは大きい。特にリーダーシップを発揮
するわけでもないが何となく頼りになる。『重し』になる
興亜火災の浜松支店にいるらしいというあいまいな情報を頼りに会社に電話をした。
かわいい女性の声が、
『お待たせしました、興亜火災です』
「廣瀬さんをお願いしたいのですが」
『支社長の廣瀬でよろしかったでしょうか?』
「いいえ、違います。そんなえらい方でない別の廣瀬さんです」
『当社には廣瀬は他におりませんが・・』
もう転勤してしまったのかと思いつつ、
「失礼ですが、その方は名古屋出身の方でしょうか?」
『はい、確か名古屋だったと思います』
「それでは恐れ入りますけれど、その廣瀬さんをお願いします」
「あの~、私、名古屋西校のラグビー部でお世話になった林と申しますけれど」
『オーーー』
「廣瀬さんですか?」
『そうだよ。』
「お分かりですか?」
『お~、声で分かった』
ウソこけ~。まったく調子がいいんだから。でも助かった。電話を入れた主旨を話す。
廣瀬さんは、ノリノリだ。
『直ぐみんな集めろ!』
「了解しました!!」
小島と打ち合わせに入る。日にちは各地からも来られるよう1月2日とし、みんなで
大学選手権を見ようという事になった。中々いい企画ではあるが、宴会場所が問題だ。
正月そうそう開いている店がない。
小島が『あてがあるからそこに頼み込む』と言う。
「おまかせ」、連絡はぼくがすることになり、とりあえず集合場所は伏見の名宝会館前
に平成6年1月2日12時集合で連絡を流す。
楽しみにしていたら12月31日午後11時40分小島から電話が入った。
こんな時間になんだろうと思ったら宴会場所が確保出来ないという。
頭がパニックになる。
もう全国からみんな名古屋に向っているはずだ。もう連絡もとれない。
小島も、方々別の会場をあたってくれていたがムリとのこと。
ただ、HILTON Hotelが宴会場はダメだが宿泊は出来るということだった。
とりあえず集合場所には近い。何人集まるか分からないので全員納まるか心配だが
テレビもある。時間は無制限、最悪泊まることも出来る。考えようによれば返って
好都合である。「良い、良い、そこにしよ」 さっそくHILTONに予約を入れる。
窓の外では除夜の鐘が鳴っている。まったくゾクゾクする年越しであった。
1月2日、小島と早めに待ち合わせて買い出しをした。ふたりとも空の大きなバッ
グを持参している。缶ビール2ケース、ウイスキー1本、つまみ少々を詰め込み
HILTONにチェクイン。
Room Number 1622。小島が会場作りを担当し、自分はみんなを名宝会館前に迎えに
行く。うさんくさそうなのが集まっている。20年ぶりのもいるがすぐ分かった。
状況を話し2、3人づつ目立たないように部屋に入ってもらい、12時30分まで集合
場所で待ち、部屋に戻ると会場は中々いい感じに出来あがっていた。何人集まった
かはよく憶えていないが、たぶん13~14人いたと思う。
話しは俄然盛り上がった。積もる話しがあふれ出ていた。廣瀬さんが三輪弘光
(チューさん)を連れて来た。彼は廣瀬さんと同期の、バレーボール部キャプテン
であり名工大でラクビーをやっていたそうだ。名西ラグビー部とは直接関係ないが
大歓迎である。
テレビでは大学選手権をやっているが、みんな話しに夢中である。だれも見ていない。
『これだけいるからチーム組めるじゃん』 『やろうぜ、やろうぜ』 予想された
展開になってきたと思っていたら、もうポジション決めが始まっていた。
続いて、『チーム名はどうする?』
柘植が『ハリマオは?』(怪傑ハリマオの主題歌が、当時名西ラグビー部の部歌だった)
他にも出ていたが、また柘植が『インキーズは?』
「なに、それ?」
『インキン(股部白癬)が流行ってたじゃん』
(高校当時、私を除いた大勢の方が感染していた。)
「いいじゃん、いいじゃん。それにしよ」
結局、多数決で決めることになり、『ハリマオ』が勝ち、『名西』を頭につけ『名西
ハリマオR.F.C.』になった。
(個人的には『インキーズ』に手を上げた。響きがかわゆいし、「俺はなってないけど
・・・」と言いたかった。)
話しが進むにつれ気がついたがチューさんが仕切りまくっている。
『キャプテンは廣瀬やれ』
『酒ね~ぞ~』
HILTON Hotel Room No.1622は居酒屋と化していた。重たい思いをして運び込んだ酒類
がなくなった。後輩をつかまえ
「酒とたばこ、買って来い」
『こんな正月にお店やってますか?』
「何言ってんだ~、俺たちは買ってきたぞ。探せ~」
「子供の使いじゃねんだから、店が閉まっていたらシャッターたたいて買って来い」
「酒は剣菱、たばこはセブンスター、その他大勢」
「ついでに鯛焼きふたつ」
酔った勢いとはいえ、体育会系丸出しでむちゃを言っていた。後輩たちもなんだかんだ
言いながら買いに行く。『金馬簾』の時は同期だけだったのでなかったが、この場は縦
社会が出来あがっていた。いい感じ、いい感じ。
ただ、肝心の手配師については決まっていなかった・・・
第四話へ
練習場所が無い。ボールすら無い。スミタまで行くのはめんどうだ。連絡は誰がする
のだ。チームを組むには15人いるが頭数が足りない。
また暗礁に乗り上げる。
ただラグビー仲間と飲むのは、たのしいことはよく分かったので、人数確保もかねて
当直の夜の作業は続けていた。ひとつ上の廣瀬さんの代、ひとつ下の金田隆男(キン
タ)の代と自分が高校時代に一緒にプレーをした人々を探し続けていた。彼らともう
一度ラグビーボールを追ってみたいと考えていた。
更に1年の歳月を費やし、合計30名の仲間にたどり着いた。電話をかけ続ける中、
2名の死亡も確認してしまった。
絶句である。予想もしていなかった出来事に言葉がつまる。
ご家族に、電話をかけさせていただいた主旨をお話しする。
『それはいい事ですね。生きていたら、よろこんで参加させていただいたと思いま
すが……残念です。がんばって下さい。応援しています』
誰もいない血液センターの事務室で茫然自失となっていた。
一年上のキャプテンの廣瀬さんを見つけたのは大きい。特にリーダーシップを発揮
するわけでもないが何となく頼りになる。『重し』になる
興亜火災の浜松支店にいるらしいというあいまいな情報を頼りに会社に電話をした。
かわいい女性の声が、
『お待たせしました、興亜火災です』
「廣瀬さんをお願いしたいのですが」
『支社長の廣瀬でよろしかったでしょうか?』
「いいえ、違います。そんなえらい方でない別の廣瀬さんです」
『当社には廣瀬は他におりませんが・・』
もう転勤してしまったのかと思いつつ、
「失礼ですが、その方は名古屋出身の方でしょうか?」
『はい、確か名古屋だったと思います』
「それでは恐れ入りますけれど、その廣瀬さんをお願いします」
「あの~、私、名古屋西校のラグビー部でお世話になった林と申しますけれど」
『オーーー』
「廣瀬さんですか?」
『そうだよ。』
「お分かりですか?」
『お~、声で分かった』
ウソこけ~。まったく調子がいいんだから。でも助かった。電話を入れた主旨を話す。
廣瀬さんは、ノリノリだ。
『直ぐみんな集めろ!』
「了解しました!!」
小島と打ち合わせに入る。日にちは各地からも来られるよう1月2日とし、みんなで
大学選手権を見ようという事になった。中々いい企画ではあるが、宴会場所が問題だ。
正月そうそう開いている店がない。
小島が『あてがあるからそこに頼み込む』と言う。
「おまかせ」、連絡はぼくがすることになり、とりあえず集合場所は伏見の名宝会館前
に平成6年1月2日12時集合で連絡を流す。
楽しみにしていたら12月31日午後11時40分小島から電話が入った。
こんな時間になんだろうと思ったら宴会場所が確保出来ないという。
頭がパニックになる。
もう全国からみんな名古屋に向っているはずだ。もう連絡もとれない。
小島も、方々別の会場をあたってくれていたがムリとのこと。
ただ、HILTON Hotelが宴会場はダメだが宿泊は出来るということだった。
とりあえず集合場所には近い。何人集まるか分からないので全員納まるか心配だが
テレビもある。時間は無制限、最悪泊まることも出来る。考えようによれば返って
好都合である。「良い、良い、そこにしよ」 さっそくHILTONに予約を入れる。
窓の外では除夜の鐘が鳴っている。まったくゾクゾクする年越しであった。
1月2日、小島と早めに待ち合わせて買い出しをした。ふたりとも空の大きなバッ
グを持参している。缶ビール2ケース、ウイスキー1本、つまみ少々を詰め込み
HILTONにチェクイン。
Room Number 1622。小島が会場作りを担当し、自分はみんなを名宝会館前に迎えに
行く。うさんくさそうなのが集まっている。20年ぶりのもいるがすぐ分かった。
状況を話し2、3人づつ目立たないように部屋に入ってもらい、12時30分まで集合
場所で待ち、部屋に戻ると会場は中々いい感じに出来あがっていた。何人集まった
かはよく憶えていないが、たぶん13~14人いたと思う。
話しは俄然盛り上がった。積もる話しがあふれ出ていた。廣瀬さんが三輪弘光
(チューさん)を連れて来た。彼は廣瀬さんと同期の、バレーボール部キャプテン
であり名工大でラクビーをやっていたそうだ。名西ラグビー部とは直接関係ないが
大歓迎である。
テレビでは大学選手権をやっているが、みんな話しに夢中である。だれも見ていない。
『これだけいるからチーム組めるじゃん』 『やろうぜ、やろうぜ』 予想された
展開になってきたと思っていたら、もうポジション決めが始まっていた。
続いて、『チーム名はどうする?』
柘植が『ハリマオは?』(怪傑ハリマオの主題歌が、当時名西ラグビー部の部歌だった)
他にも出ていたが、また柘植が『インキーズは?』
「なに、それ?」
『インキン(股部白癬)が流行ってたじゃん』
(高校当時、私を除いた大勢の方が感染していた。)
「いいじゃん、いいじゃん。それにしよ」
結局、多数決で決めることになり、『ハリマオ』が勝ち、『名西』を頭につけ『名西
ハリマオR.F.C.』になった。
(個人的には『インキーズ』に手を上げた。響きがかわゆいし、「俺はなってないけど
・・・」と言いたかった。)
話しが進むにつれ気がついたがチューさんが仕切りまくっている。
『キャプテンは廣瀬やれ』
『酒ね~ぞ~』
HILTON Hotel Room No.1622は居酒屋と化していた。重たい思いをして運び込んだ酒類
がなくなった。後輩をつかまえ
「酒とたばこ、買って来い」
『こんな正月にお店やってますか?』
「何言ってんだ~、俺たちは買ってきたぞ。探せ~」
「子供の使いじゃねんだから、店が閉まっていたらシャッターたたいて買って来い」
「酒は剣菱、たばこはセブンスター、その他大勢」
「ついでに鯛焼きふたつ」
酔った勢いとはいえ、体育会系丸出しでむちゃを言っていた。後輩たちもなんだかんだ
言いながら買いに行く。『金馬簾』の時は同期だけだったのでなかったが、この場は縦
社会が出来あがっていた。いい感じ、いい感じ。
ただ、肝心の手配師については決まっていなかった・・・
第四話へ
第二話 【名西ラグビー部同期11人集う】
高校を卒業してから13年の月日が流れていた。一口に『みんなを集める』と言って
も大変なことと思われた。大変だと思えたから名乗りをあげなかった。
唯々、庵原からの連絡を待っていたが、そのうち忘れていた。
30代前半のころは公私共に忙しく、人生の大きなイベントを一機にこなした感じだっ
た。結婚、転職、引越し、マイホーム購入、ふたりの子供の出産。振り返って見ると、
今まで団体スポーツしかやったことがない。いつも隣に仲間がいて楽しかったのだと
気がついた。
どうも個人スポーツは向かないみたいだ。個人スポーツはパチンコ以外やった事も無
い。そんなことを考えながら自転車をこいでいたら転んだ。
車道から歩道にあがりそこなって一回転した。小牧の愛知銀行の前の歩道にへたり
こみ、ひじから流れ落ちる血を見ながらうずくまっていた。何をやってるんだ…
…そして、決めた。
「ラグビーをやるぞ!!」
「ラグビー部のみんなに会いたかったのは自分ではないか!」
「人に頼らず自分で集めるぞ!」
自転車は前輪が曲がってしまい、ももと腕はすりむき、ひじからは血が流れ落ちて
いたが、心はすがすがしかった。
めいっぱい意気込みはあったが、なにをどうすればいいか分からない。
まずはみんなの現在の居場所を探し、飲み会を企画して、飲み会が盛り上がった
頃合いを見計らって一緒に走ることを提案することにした。
この気持ちにたどり着くまでに36才になっていた。
住所を探すにも、年賀状のやり取りをしているわけでもない。頼れるのは、唯一卒業
アルバムしかない。家では子供がまだ小さかったので落ち着いて電話が出来ない。
幸い、当時血液センターでは月に二回当直があった。血液センターは24時間営業で
ある。夜も病院から血液の依頼が入るので泊まり込んでいる。依頼が入れば緊急車で
ピーポーピーポー鳴らし血液を届けるのだ。
忙しい日は一睡も出来ないが暇な日もある。この暇な日の当直相手がうるさくなさそ
うな人の日の、夜の8時から10時が連絡日となった。
アルバムの住所に電話をする。親らしき人に事情を話す。本人の現住所を聞く。現
住所に電話をする。かみさんらしい人に事情を話す。本人にたどり着く。
みんな懐かしがってくれる。いずれ集合をかけることを伝える。だれかの消息を知
らないか聞く。この一連の作業を繰り返していた。
この作業を見ていたのが堀江昭伸(堀江ちゃん)である。
『林さん夜になると事務所に行って遅くまで何かやってますけど、仕事忙しいん
ですね。』
ドキッ、返答に困る。
彼はああ見えても薬剤師さんである。血液センターでは技術部に属し、エリートで
あった。そして現在では、青年実業家である。
(堀江ちゃん、このぐらいでいいですか?)
それまであまり話す機会にも恵まれていなかった。
まあ、総務にチクルこともなさそうなので事情を話す。
しばし話を聞いていた彼が言った.
『いいですね。なにか夢がありますね』
「そうなの、これはぼくの夢なの」
『ぼくもラグビーやってましたよ』
「なに~ そんな大事なこと早く言え~」
彼の一言で態度が一変する。それ以後、一緒の日の10時以降は深夜まで話し込ん
だ。話しを聞くと彼は見かけ通りムチャクチャな人間であった。よくここまで更生
できたと感心させられた。ある日の夜など、僕は何も知らないで打桐さん(堀江
夫人)がとっても好いと口ばしってしまいました。あんな事こんな事そんな事を話
してしまいました。
「付き合っているなら付き合っていると言え~!
言葉を選んで、話しの内容も変えたのに~・・・」
丸1年かかり11人の同期の内10人にたどり着く。宮下はどうしても見つかりません
でした。
そして平成4年11月21日、栄「金馬簾」に名西ラグビー部同期11人集う。
集合の連絡を入れた時、みんな『予定を見てみる』ではなく、即答で『行く』
と言ってくれた。うれしかった。
北は仙台、南は神戸から駆けつけてくれた。みんな当時の面影を残しながらもデブ
になっていた。ちなみに『おまえは変わっていない』とみんなに言われた。
そうです、ぼくは高2からデブをやっていて、そんじょそこらのデブとは年季が違
います。
話していると酒を飲んでいる高校生状態になった。みんなの記憶をつなぎ合わせる
と名西グランドがよみがえってくる。
・宇佐美が試合中にケツが見えると審判に注意されたこと。
・清水が試合中パキッという音とともに血だるまになっていたこと。
・相手チームを振るえあがらせた川口の『ガマカツキック』。
・スパイクをぼくが先に取ったので川口のキックが外れたという言い訳。
・廣瀬さんが名工のNO8にタックルに行き、ふっ飛ばされたこと。
・パック割れ割れのフォワード。
・めくらの集まりのバックス。
・タッチを切れない村田のパント。
・長谷川商店のチェリオ。
・部室から階段をのぞいたこと。
個人的にも色々思い出した。
・ゴール前5mのパスを橋本さんが落としたこと。
・鎖骨骨折しても痛くなかったこと。
・病院へ行く車の中、養護の先生のスカートに折れた手が入っていたこと。
・病院の看護婦さんに起こしてもらう時、右手オッパイ左手ブラジャーに触れドキ
ドキしたこと。
思い出は尽きなかった。よく飲んで、よく笑った。
また夢が少しふくらんだ。
「彼らといっしょに一度でいいから現役と試合をしたい!!」
第三話へ
も大変なことと思われた。大変だと思えたから名乗りをあげなかった。
唯々、庵原からの連絡を待っていたが、そのうち忘れていた。
30代前半のころは公私共に忙しく、人生の大きなイベントを一機にこなした感じだっ
た。結婚、転職、引越し、マイホーム購入、ふたりの子供の出産。振り返って見ると、
今まで団体スポーツしかやったことがない。いつも隣に仲間がいて楽しかったのだと
気がついた。
どうも個人スポーツは向かないみたいだ。個人スポーツはパチンコ以外やった事も無
い。そんなことを考えながら自転車をこいでいたら転んだ。
車道から歩道にあがりそこなって一回転した。小牧の愛知銀行の前の歩道にへたり
こみ、ひじから流れ落ちる血を見ながらうずくまっていた。何をやってるんだ…
…そして、決めた。
「ラグビーをやるぞ!!」
「ラグビー部のみんなに会いたかったのは自分ではないか!」
「人に頼らず自分で集めるぞ!」
自転車は前輪が曲がってしまい、ももと腕はすりむき、ひじからは血が流れ落ちて
いたが、心はすがすがしかった。
めいっぱい意気込みはあったが、なにをどうすればいいか分からない。
まずはみんなの現在の居場所を探し、飲み会を企画して、飲み会が盛り上がった
頃合いを見計らって一緒に走ることを提案することにした。
この気持ちにたどり着くまでに36才になっていた。
住所を探すにも、年賀状のやり取りをしているわけでもない。頼れるのは、唯一卒業
アルバムしかない。家では子供がまだ小さかったので落ち着いて電話が出来ない。
幸い、当時血液センターでは月に二回当直があった。血液センターは24時間営業で
ある。夜も病院から血液の依頼が入るので泊まり込んでいる。依頼が入れば緊急車で
ピーポーピーポー鳴らし血液を届けるのだ。
忙しい日は一睡も出来ないが暇な日もある。この暇な日の当直相手がうるさくなさそ
うな人の日の、夜の8時から10時が連絡日となった。
アルバムの住所に電話をする。親らしき人に事情を話す。本人の現住所を聞く。現
住所に電話をする。かみさんらしい人に事情を話す。本人にたどり着く。
みんな懐かしがってくれる。いずれ集合をかけることを伝える。だれかの消息を知
らないか聞く。この一連の作業を繰り返していた。
この作業を見ていたのが堀江昭伸(堀江ちゃん)である。
『林さん夜になると事務所に行って遅くまで何かやってますけど、仕事忙しいん
ですね。』
ドキッ、返答に困る。
彼はああ見えても薬剤師さんである。血液センターでは技術部に属し、エリートで
あった。そして現在では、青年実業家である。
(堀江ちゃん、このぐらいでいいですか?)
それまであまり話す機会にも恵まれていなかった。
まあ、総務にチクルこともなさそうなので事情を話す。
しばし話を聞いていた彼が言った.
『いいですね。なにか夢がありますね』
「そうなの、これはぼくの夢なの」
『ぼくもラグビーやってましたよ』
「なに~ そんな大事なこと早く言え~」
彼の一言で態度が一変する。それ以後、一緒の日の10時以降は深夜まで話し込ん
だ。話しを聞くと彼は見かけ通りムチャクチャな人間であった。よくここまで更生
できたと感心させられた。ある日の夜など、僕は何も知らないで打桐さん(堀江
夫人)がとっても好いと口ばしってしまいました。あんな事こんな事そんな事を話
してしまいました。
「付き合っているなら付き合っていると言え~!
言葉を選んで、話しの内容も変えたのに~・・・」
丸1年かかり11人の同期の内10人にたどり着く。宮下はどうしても見つかりません
でした。
そして平成4年11月21日、栄「金馬簾」に名西ラグビー部同期11人集う。
集合の連絡を入れた時、みんな『予定を見てみる』ではなく、即答で『行く』
と言ってくれた。うれしかった。
北は仙台、南は神戸から駆けつけてくれた。みんな当時の面影を残しながらもデブ
になっていた。ちなみに『おまえは変わっていない』とみんなに言われた。
そうです、ぼくは高2からデブをやっていて、そんじょそこらのデブとは年季が違
います。
話していると酒を飲んでいる高校生状態になった。みんなの記憶をつなぎ合わせる
と名西グランドがよみがえってくる。
・宇佐美が試合中にケツが見えると審判に注意されたこと。
・清水が試合中パキッという音とともに血だるまになっていたこと。
・相手チームを振るえあがらせた川口の『ガマカツキック』。
・スパイクをぼくが先に取ったので川口のキックが外れたという言い訳。
・廣瀬さんが名工のNO8にタックルに行き、ふっ飛ばされたこと。
・パック割れ割れのフォワード。
・めくらの集まりのバックス。
・タッチを切れない村田のパント。
・長谷川商店のチェリオ。
・部室から階段をのぞいたこと。
個人的にも色々思い出した。
・ゴール前5mのパスを橋本さんが落としたこと。
・鎖骨骨折しても痛くなかったこと。
・病院へ行く車の中、養護の先生のスカートに折れた手が入っていたこと。
・病院の看護婦さんに起こしてもらう時、右手オッパイ左手ブラジャーに触れドキ
ドキしたこと。
思い出は尽きなかった。よく飲んで、よく笑った。
また夢が少しふくらんだ。
「彼らといっしょに一度でいいから現役と試合をしたい!!」
第三話へ
第一話 【小島との再会】
昭和45年の春、小牧からひとりで名古屋にも行けない紅顔可憐な15才の少年
がいた。彼の名は林周治。この話しの主人公である。
彼はまだ自分の居場所を見つけられずオドオドと名古屋西高校1年J組の教室に
座っていた。その姿は、『♪風に戸惑う弱気なぼく』そのものだった。
そのクラスメートだった小島徳康(小島)が唐突に声を掛けてきた。
『君ラグビーやらない?』 名古屋の中学出身の彼は、長髪でなぜかまぶしく
みえた。そのせいかどうか分からないが「いいよ~」と答えてしまった。
今思えば一生の不覚だったかもしれない。「いや~」と答えていれば、その後の
人生は大きく変わっていたかもしれない。
その時は知るよしもなかったが、生涯の友との出会いであった。
高校を卒業し、大学は別々だったがお互い東京にいたので、彼の富士見が
丘のアパートを訪れよく飲んだ。そのころのぼくは、友人宅をお泊りグッズ
(歯ブラシ、電気かみそり、外書)を持って泊まり歩いていた。外泊2~3日、
自分のアパートで風呂屋に行き下着を変え休養の1泊をするペースを守って
いた。
〔戸越の廣瀬恵紀(廣瀬さん)宅、のちにチームに加わる加藤武志(加藤先生)
宅(東府中)にも泊まりに行った。〕
ただし、小島宅が最もきれいでなぜは予備の布団も備わっていた。その布団は
いい匂いがした。
(ウソです。そんな気がしたが正しい表現です。)
社会人になっても磯子のマンションを訪れ飲んだ。そのころ彼は新婚だったので
さすがに泊まらなっかたと思う。
そんな彼と昭和60年31才の夏、小牧で再会した。名古屋出身の彼も引っ越
して、今では小牧人。
お互い会社をやめ、再出発する時だった。何処で飲んだかは記憶が定かでない
が、仕事の事、家族の事、そしてラグビーの話しとよく語った。彼は大学でも
ラグビーを続けていただけにラグビーの話しになると熱い。
そして酔いが回った頃、何気なく口走ってしまった。
「ところで、まだ現役(高校生)に勝てるよな」
(このひとことからハリマオは始まっている。)
小島はあきれた顔で、いつもの口調で言った。
『バ~カ、勝てるはずね~じゃん』『おまえは、自分を知らなすぎる』
高校卒業でジャージを脱いでいた自分にはどうも納得できないでいたが、また
ジャージを着るとはその時思ってもいなかった。ただラグビー部のみんなに会い
たいと思った。小島も同じ思いのようで『そろそろ会いたいな』と言っている。
「そうだな」と答えるが次ぎの言葉はお互い発しない。次ぎの言葉は決まっている
からだ。
(ラグビー部の同窓会をやろう。)であるがお互い、生来のめんどくさがりな事
は充分知っているからだ。(言い出した方が企画担当になるからだ。)
しばしの沈黙の後、小島が名案を出す。
『井原(名西ラグビー部キャプテン)に集めさせよう』 『井原には、おれが連
絡する』すかさず「賛成」 その場は丸く治まる。この展開は高校時代の人間関係
に由来する。
当時から、まじめな井原がキャプテンであったがその井原を影で糸を引いていた
のが小島であり「それがいい、いい」と言っていたのが自分だったような気がする。
そんなこんなでお開きとなるが、ちょっと惑々する展開になってきた。
第二話へ
がいた。彼の名は林周治。この話しの主人公である。
彼はまだ自分の居場所を見つけられずオドオドと名古屋西高校1年J組の教室に
座っていた。その姿は、『♪風に戸惑う弱気なぼく』そのものだった。
そのクラスメートだった小島徳康(小島)が唐突に声を掛けてきた。
『君ラグビーやらない?』 名古屋の中学出身の彼は、長髪でなぜかまぶしく
みえた。そのせいかどうか分からないが「いいよ~」と答えてしまった。
今思えば一生の不覚だったかもしれない。「いや~」と答えていれば、その後の
人生は大きく変わっていたかもしれない。
その時は知るよしもなかったが、生涯の友との出会いであった。
高校を卒業し、大学は別々だったがお互い東京にいたので、彼の富士見が
丘のアパートを訪れよく飲んだ。そのころのぼくは、友人宅をお泊りグッズ
(歯ブラシ、電気かみそり、外書)を持って泊まり歩いていた。外泊2~3日、
自分のアパートで風呂屋に行き下着を変え休養の1泊をするペースを守って
いた。
〔戸越の廣瀬恵紀(廣瀬さん)宅、のちにチームに加わる加藤武志(加藤先生)
宅(東府中)にも泊まりに行った。〕
ただし、小島宅が最もきれいでなぜは予備の布団も備わっていた。その布団は
いい匂いがした。
(ウソです。そんな気がしたが正しい表現です。)
社会人になっても磯子のマンションを訪れ飲んだ。そのころ彼は新婚だったので
さすがに泊まらなっかたと思う。
そんな彼と昭和60年31才の夏、小牧で再会した。名古屋出身の彼も引っ越
して、今では小牧人。
お互い会社をやめ、再出発する時だった。何処で飲んだかは記憶が定かでない
が、仕事の事、家族の事、そしてラグビーの話しとよく語った。彼は大学でも
ラグビーを続けていただけにラグビーの話しになると熱い。
そして酔いが回った頃、何気なく口走ってしまった。
「ところで、まだ現役(高校生)に勝てるよな」
(このひとことからハリマオは始まっている。)
小島はあきれた顔で、いつもの口調で言った。
『バ~カ、勝てるはずね~じゃん』『おまえは、自分を知らなすぎる』
高校卒業でジャージを脱いでいた自分にはどうも納得できないでいたが、また
ジャージを着るとはその時思ってもいなかった。ただラグビー部のみんなに会い
たいと思った。小島も同じ思いのようで『そろそろ会いたいな』と言っている。
「そうだな」と答えるが次ぎの言葉はお互い発しない。次ぎの言葉は決まっている
からだ。
(ラグビー部の同窓会をやろう。)であるがお互い、生来のめんどくさがりな事
は充分知っているからだ。(言い出した方が企画担当になるからだ。)
しばしの沈黙の後、小島が名案を出す。
『井原(名西ラグビー部キャプテン)に集めさせよう』 『井原には、おれが連
絡する』すかさず「賛成」 その場は丸く治まる。この展開は高校時代の人間関係
に由来する。
当時から、まじめな井原がキャプテンであったがその井原を影で糸を引いていた
のが小島であり「それがいい、いい」と言っていたのが自分だったような気がする。
そんなこんなでお開きとなるが、ちょっと惑々する展開になってきた。
第二話へ
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