今は昔、高校の先生をしている幼友達と飲んでいた。彼がパーソナルコンピュー
ター(PC)を買ったという。当時はまだ出始めのころだったので随分値段は高
かったと思う。
「へ~、すごいじゃん。またどうして?」
『ん~、先生も、20代のころは(おにいさん)でやれた。30代のころは(パワー)
でやれた。40代になるとそうはいかない。なにか(教える技術)がいる』
「それでPCかったの?」
『うん、自分への投資なんだ』
なんかかっこいい話しで心に残った。
平成9年の秋、本屋さんで立ち読みをしていて一冊の本に目が止まった。『ラグビ
ー・クリニック』(創刊号)とあった。ラグビー校の特集だった。その1ぺージに
は朝靄の中にたたずむラグビー校の写真が載っていた。かっこいい写真だった。
すぐに買い求めた。
夜、寝る前に布団の中で読んだ。直ぐに読み終えたが読み返していた。寝る前はラ
グビーのことを考えていると安らかに寝付ける。読むところがなくなっても写真を
ながめていた。
ラグビー校でプレーする日本人の子供の写真もあった。ストッキングのずれ方がな
んともかっこ良かった。毎晩ながめていた。ある夜思った。
「ここへ行こう!」
「ラグビー校へ行こう!!」
友人は(自分への投資)として30万円のPCを買ったが、自分は(20年以上まじめ
に働いた自分へのご褒美)に『ラグビー校探訪の旅』を自分にプレゼントしようと
思った。
会社を一週間くらい休んでも罰はあたらないと思った。雑誌を眺めていると、思い
がどんどん膨らんだ。どうも物事をひとりで完結できない性分らしい。回りの人間
を巻き添えにしたがる傾向にある。
ラグビー校へ行きたい。→イギリスに行くならワールドカップも見たい→ワールド
カップを見るならみんなと見たい。→みんなと行くならイギリスのチームと交流も
したい。
一枚の写真から、またとんでもないことを考え始めていた。『ハリマオのイギリス
遠征』である。「これはムリだよな」との思いと「みんなといっしょにイギリスに行っ
たらたのしいだろうな」との思いが同居していた。でも、迷っていたわけではなかっ
た。直ぐ図書館に行って、実現可能なのかを調べていた。理想形を決めた。
(案)【名西ハリマオイギリス遠征】
時 期:平成11年9月~11月の間(第4回ワールドカップ期間中)
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:30万円
参加人数:20名
(内容)
・オリジナルツアー
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦
・リッチモンドのクラブと交流
・2泊はロンドンのB&B、2泊は郊外のマナーハウス
とてつもなく大きな企画であり、まだなにも決まっていなかったが、これが
実現できるなら、自分の寿命が10年短くなってもいいと思っていた。
平成11年1月2日の新年会でこの企画を発表した。みんなからの賛同を得た。
一年半温めてきた企画がその時動き出した。それからはみんなの協力も仰ぎ、
具体化していった。ワールドカップのチケットが手に入らないといううわさも
あり、右往左往しながら5月初旬には概略が決まった。
【名西ハリマオイギリス遠征】(東急観光)
時 期:平成11年10月7日~12日
場 所:英国(イングランド&ウエールズ)
日 時:4泊6日
参加費用:31万円
参加人数:15名
(内容)
・オリジナルツアー添乗員付き
・ラグビー校訪問
・第4回ワールドカップ観戦(日本VSウエールズ)
・リッチモンドのクラブと交流(まだ決まっていなかった。)
2泊はロンドン(スタキスロンドン)2泊は郊外のマナーハウス
(ディンズフィールド・ハウス)
当初描いた構想がほぼ実現しそうになっていた。会社の休みは課長からは了解
を得ていた。
翌日から東京出張に出かける6月14日の夕方、課長と話していた。
「イギリスの話、部長にも話しておいて下さいね。もう、ほぼ決まってきまし
たから」
『実は部長には二度話したんだ』
「二度ってどうゆうことですか?」
『だめだと言われた。休暇願いにははんこを押せないと言われた』
「………」
『俺は行かせてやりたいと思っている』
「どうやって行くんですか?」
『休め。後は俺がなんとかする』
「………」
課長の気持ちはうれしいがそれはムリだと思えた。イギリスに行けなくなりそう
だ。二年準備してきたイギリスが消えていく。なにも考えられなくなっていった。
センターにいたくなかったので帰った。ボーとしながら運転をしていた。そのま
ま家に帰り『おとうさん』になる元気がなかった。車をとめ缶コーヒーを買った。
カセットを入れたら、宇多田ヒカルの『オートマチック』が流れてきた。また忘
れられない曲が出来てしまった。
次ぎの日、東京での3泊4日の研修会に出かけた。東京で年2回研修会があり、
その都度廣瀬さんにお目に掛かっていた。いつもご馳走になり、ハリマオの事に
ついて相談していた。今回はいやな話しをしなければならなくなった。気が重かっ
た。自分が行けないことは諦めるとしても、メンバーに対し、乗せるだけ乗せて
自分が行かない責任はどう取ればいいのか。申し開きが出来ないことをしてしまっ
た思いだった。年甲斐もなく落ち込んだ。心がむき出しになっていった。20年ぶ
りの悲惨な状態だった。とにかく廣瀬さんには、現状をありのままに伝えようと
思った。6月17日、霞ヶ関でお目に掛かった。
「すみません。イギリス行けなくなりました」
『なんだて~』
課長との話しを伝える。
『課長さんに迷惑が掛かるから行くのはやめた方がいいだろうな。でも君が行け
ないのは痛いな。この話しは君の夢だったからな。ん~、でも今一番悔しいの
は君だろうから泣き言は言うまい』
なにかとっても救われた気がした。ウルウルして顔が上げられなかった。
『他の者が行けなくなったのとは訳が違うので、どうなるか分からないが、出切
る限りみんなで行く方向で考えよう』
地下鉄の駅で別れ、浜松町のホテルまでひとり歩いて帰った。
悔しさと申し訳無さでいっぱいだった。トボトボと歩いていた。僕のイギリス遠
征はこの時終わった。
見上げた東京タワーが滲んで見えた。
平成11年10月7日、小島らはイギリスに向けて飛び立った。
第十三話へ
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